武士道の「美意識」を学ぶ。

同田貫(その1)

 

 

 

「ずだぬき」・・・

 

 

 

この地方では「どうたぬき」のことを

 

昔から「ずだぬき」と呼んでいたそうで

 

道で出会った老婆に

「同田貫という場所はどこですか?」と

訪ねたところ

 

返ってきた言葉が

「ずだぬき」でした。

 

それは、熊本県の菊池市

「稗方(ひえがた)」という地区で

「同田貫の屋敷跡」を探していた時のこと。

 

 

 

 

私は父と

菊池出身である

誠心館道場の上村先生と

 

展覧会の準備のため

地元ならではの資料を集めるために

稗方を調査しておりました。

 

地元の方に聞けば

ここでは、

古来より親しみをこめて

「ずだぬきどん」とも呼んでいたそうで

 

印象としては「どう たぬき」ではなく

「ず〜だぬぐ」「ず・だぬき」と

 

「ず」に特徴のある発音に聞こえました。

 

この時点では、

「ず だぬく」という発音が

 

全く新しい発見に繋がるとは

思ってもいなかったのですが

 

それは、のちほど紹介するとして

 

そもそも「同田貫」とは何か?

という一般的なところから

少しご説明していきたいと思います。

 

 

 

「同田貫」とは、

 

熊本県の菊池にある

同田貫という地名を本拠地に、

 

永禄頃から活躍した刀工集団の名前で

折れず、曲がらず、良く切れるということで

評判の日本刀のことでございます。

 

 

今回のテーマは

この肥後の刀「同田貫」。

 

 

 

 

さて、

 

ご存知の方も多いと思いますが

肥後の刀と言えば、

 

八代の「金剛兵衛盛高

(こんごうひょうえもりたか)」、

菊池の「延寿(えんじゅ)」、

そして玉名の「同田貫(どうたぬき)」が

古来より愛されており、

 

私達、居合人も

その三つの流派に関係ある

職人の皆様に支えられ、現代刀を使って

稽古ができるのでございます。

 

 

その事を考えますと日頃、

御世話をお掛け申しました各位に対し、

心から謝辞を送りたいのと同時に

 

この平成の世に

「同田貫の現在」を知っていただき

 

その光芒の中に秘められた

質朴剛健さ、力強さ、

現代科学の追随を許さない

伝統の力と美しさを再認識し、

 

 

肥後人の気質と一脈相通じ、

共感をよぶところを

大切にしたいと思いました。

 

 

そして、この研究は

2016年4月16日に

「菊池観光協会」の皆様と開催を予定し、

 

同年 2016年4月14日、15日の

熊本地震で中止となった

 

「菊池一族と延寿鍛冶展」のおかげで

纏めることができたのでございます。

 

 

 

 

展覧会は中止となっておりますが

 

地震で傷ついた熊本には

熊本城を中心とする

「武士道精神」が古来よりあり、

 

そのエネルギーが

復興への原動力になることを信じて、

 

前に進んでいければと

願う次第でございます。

 

 

 

そしていつの日か

「菊池一族と延寿鍛冶展」を開催する時に

展示しようとしていた

 

他では見ることのできない

門外不出の「同田貫」を

皆様にご覧いただければ幸いです。

 

先ずは

この「同田貫」について

記事を書かせて頂く前に

 

菊池観光協会の皆様、

菊池神社、菊池一族の皆様、

菊池市長、中原英先生、笹原先生、

 

また、

歴史公園鞠智城・温故創生館の皆様に

深甚の謝辞を奉りますとともに

心より御礼を申し上げる次第でございます。

 

 

 

 

さて、

同田貫(どうだぬき)が

熊本県で発祥し、

 

永禄頃から活躍した

刀工集団と言うことは

多くの刀剣ファンの皆様は

ご存知だと思います。

 

また、

ゲームやアニメのおかげで

幅広い世代の皆様に

注目していただけることは

本当に嬉しいことでございます。

 

 

私達は肥後・熊本にて

居合道と関わってきた関係で

自然と「同田貫」を拝見する機会がございました。

 

しかし、私がより深く興味を持ったのは

熊本市竜南中学校の校長で、

 

のちに菊池市教育長を勤められた

(故)中原正象(象湖)先生の書かれた

「肥後の同田貫」という本の影響です。

 

 

 

 

これは、昭和62年の春に

自費出版されたもので

書店では販売されていないものです。

 

私は、もう15年以上も前に

誠心館道場の小林先生から頂き、

読むことができました。

 

今回は、中原先生の書籍に記されていた

謎の部分が地元の皆様のおかげで解明され、

さらに全く新しい発見もできました。

 

 

前置きが長くなりましたが

「同田貫の旅」を始めたいと思います。

 

 

 

 

 

 

「美なる哉 山川の固め、

八筈、鞍岳の山ふところから

湧き出づる清水は菊池、

迫間の二川となり流れ下って

菊池平野の展けんとするところ

 

 

即ち同田貫の里。

 

 

この同田貫を語らんとすれば

必然的に

「延寿」にふれなければならない」

 

 

という文章から

中原先生が紹介していらっしゃるように

同田貫と「菊池の延寿」は

深い関係があります。

 

ほとんどの皆様が

「同田貫」とは「玉名市」のことを

イメージされますが

 

「同田貫」とは菊池市の

稗方にある地名のこと。

 

その謎を解き明かすことも含めて

ここで中原先生の著書

「肥後の同田貫」の一部をご紹介いたします。

 

 

 

 

木下業広氏の嫡子

 

木下重三氏(大正十四年四月逝去)は

手記して下の如く

余に示されたることあり。

 

「今村木下の家にては、

古来菊池家の刀鍛冶

「延寿國村」の子孫なりとの申伝あり。

 

其屋敷を土人木下と唱へ、

又其屋敷内にて昔時(年代不明)

土蔵普請の節、鞴(ふいご)

石、鍛冶用炭等掘出せし由申伝ふ。

 

重三の家督相続の節、

木下直弘、木下助之両人と談合の上

熊本藩に差出したる先祖附には、

 

私先祖菊池家抱の鍛冶にて

御入國(細川家肥後入國)の時は

木下左兵衛尉と申者居申候」

 

渋江公正氏著菊池風土記

(昭和18年より150年前寛政6年著)には、

 

 

 

「菊池延寿太郎屋敷は

西寺村の一つ橋と云所に有り、

今も

其所の井を浚らゆれば

刃物杯出ると云、

 

 

 

 

 

延寿太郎は名高い剣工にて

京都来國俊の妹の子にて有しとぞ。

 

 

其の子孫の何れの代にか、

今村の内木の下高野瀬の内小路にも

住居す。」とあり、

 

肥後國誌には、

「陳述誌曰、延寿國村が墓、

西寺村の内野間口村にあり、

 

父は弘村と云、

生國は大和の者にて来國行が聟也、

嘉禄元年の生にて九十九歳にて死す。

 

菊池に来りて菊池延寿と号す。

 

其子國村は延寿太郎と云、

来國行が孫也、

正中の比六十三歳にて死す(中略)

 

下西寺一と橋に延寿屋敷あり、

又、今村の内木下、

高野瀬の内小路にも居住の跡あり」

 

是によりて今村の内に

木下と呼ばれたる所のありたる事を

知らるると同時に、

 

今村木下家の申伝、

菊池風土記、

肥後國誌等の記録によりて、

菊池郡今村の木下の先祖は

剣工菊池延寿なる事を知るべきなり。

 

菊池に始めて定住したる

木下祖先菊池延寿の始祖につきては、

肥後國誌に弘村と明記せる如く、

諸書の記する所殆ど同一なり・・

 

 

■木下の今村定住

今村の木下家には

其の今村定住の時代を知るべき

何等記録の存するものなきを以て、

 

先づ記録の存する分家の方面より

その年代を考察せんとす。

 

住時菊池郡今村の木下家より分家して

玉名郡伊倉村に転住したる

同地の木下家の旧戸籍の前書に

 

「私先祖剣工延寿太郎にて

菊池家に被召招、

その子孫民俗に

相加候而庄屋など相勤・・・」とあり、

 

肥後國誌玉名郡の条には、

「天正文禄(1573)の比、

菊池延寿が末流此所に住し専ら刀、

脇差を製す兄弟あり、

 

 

 

 

清正候名を賜りて清國、

正國と銘を書く」とあり、

 

此の弟の正國につきては、

木下が菊池より伴ふて

 

玉名郡に転住したる弟子の小山、

上野介國広の子信賀に渡したる

製刀秘伝允許状として

木下重三氏の示されたることあり、

 

伊倉木下同田貫に

一月かたな十腰づつうたせ云々

文禄二年(1592)八月八日

清正花押

加藤喜左衛門殿

下川又左衛門殿

 

 

 

 

又木下の伴ふて玉名郡に転住したる

門弟小山については

 

 

「玉名郡亀甲村に天正の頃より

小山某という剣工有り、

製刀に同田貫と銘打ちしに付き、

里人其地を同田貫と唱ふ」といひ、

肥後國誌には玉名郡の条に、

 

 

「天正文禄の比延寿が末流此所に住し、

専ら刀、脇差を製す。

 

上野介又助杯と号する者製錬多し、

今世間に同田貫と称する剣刀は

是等の類をいふ」とあり、

 

文中の上野介は木下の門弟小山氏なり、

斯くの如く(かくのごとく)、

木下一族及其の門弟の作以外には

 

同田貫に関する記文あるをみず、

されば同田貫の呼称は

延寿の一族木下によりて

始めて称せられたるものと

みることを得可し、

 

而して此の同田貫の同の字には

 

語音よりて

同(肥後國誌)

胴(菊池風土記)

道(阿蘇文書)

洞(阿蘇現住者)

といふ

四種の異なりたる文字を用いあるも、

 

 

余は各種の方面より調査して

道の字の道田貫の名を切るに鋳刻の便宜上、

多画の字を嫌ふを常としたるを以て、

 

多画の道の字を画の少なき

同の字に刻したるために

生じたる変化ならんか。

 

・・後略・・

 

 

これを読んでわかるように

 

同田貫は「菊池」に住んでいた

「延寿」という刀工集団の一部が

「同田貫」と

名乗っていくことがわかります。

 

そして「延寿」は

「来国光」などの

「来一派」であった「弘村」「國村」を

 

 

 

菊池氏・第十代「菊池武房」公が

菊池に招き、

 

土着して「菊池延寿」「延寿太郎国村」と

名乗ったことから誕生し、

 

「来」→「延寿」→「同田貫」という流れで

肥後熊本に受け継がれていった

刀工集団ということになります。

 

作風は全然違うのですが

同田貫には

延寿と来のDNAが入っていることになります。

 

 

同田貫家系図には

 

 

 

菊池武重の孫(13代)とするもの、

 

 

 

菊池政隆(23代)にて

菊池氏没落四十余年後正國を以て

初代とするもの、

 

 

隆親を以て始祖とするもの等

五通りの系図が残っていると

中原先生は説明されております。

 

 

五者を考察すれば

菊池武重の孫とすれば

同田貫正國までは230年を経ており、

飛躍しすぎるので、

恐らくは子孫の意味であること。

 

次に正國が菊池氏の

直系であるとする考え方については

「肥後の菊池氏(上田均著)」の

菊池一族の系図に照らしてみても

多くの問題が考えられること。

 

第五に、第七代菊池隆定の次子

隆親を始祖とする所謂傍系の流れを汲む

同田貫正國とする系図があること。

 

 

 

其の五の家系図は

玉名市亀甲に同田貫上野介正國を

初代とする歴代同田貫刀匠の墓を護る

小山家に家宝として

 

保存するもので製作の年代も古く、

亦(また)同家に保存する

重勝、正勝、宗廣、宗春等の

肖像画や位牌等からみて

 

最も信憑性が高いものということが

できること。

 

これを要するに同田貫刀工が

第七代「菊池隆定」の弟

「隆親」を祖とすることは

上述の五つの家系図により共通点であり、

従って菊池一族の流れを汲む

刀工であると云えようと

纏められております。

 

 

 

 

私と上村先生は

昨年(2015年11月)に

 

この延寿太郎屋敷跡に来て、

偶然出会った地元の方に

お話しを聞かせて頂きました。

 

 

その方の先祖と地域の皆様が

代々この屋敷跡に建てられた

八坂神社を掃除したりして

守ってこられたそうで

 

昔は、たくさんの人達で

にぎわっていたのだけれど

 

現在は、なかなか昔のようには

人も集まらず、

 

なんとか

この文化を守ってもらいたい

と話されていました。

 

 

 

案内して頂いて

神社の裏に

お墓があることを知り

手を合わせました。

 

そこには

同田貫の祖であり、

延寿の祖である

延寿弘村と國村の墓があり、

 

今でも地元の方が

花を飾っていらっしゃいました。

 

 

 

 

 

現代において

鑑賞ではなく、日本刀を実際に

活用しているのは

私達、居合人だけであり、

 

ましてや、肥後であるので

あらためて

この地元の文化を守りたいと思いました。

 

 

せっかくなので

神社に参拝させて頂いたところ

壁に飾ってあるものを発見。

 

近づいて見てみると

古い写真が飾られています。

 

よく見ると

 

そこには

 

伝統を守ってくれ・・・

 

と私達に何かを伝えているような

先人達の優しい表情がありました。

 

 

全国の皆様

是非、この機会に

菊池や玉名のこと。

延寿や同田貫のことを

知っていただければ幸いです。

 

 

「同田貫」は

(その2)に続きます。

 

 

 

お問い合わせは

一般社団法人菊池観光協会

熊本県菊池市隈府1273-1

TEL:0968-25-0513

 

 

■延寿太郎屋敷跡・八坂神社の住所

熊本県菊池市西寺2116-1等

※お墓は裏手にありますが私有地のため

入れない場合がございます。

 

資料:肥後の同田貫(中原象湖著)、

菊池観光協会資料より

 

 

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