武士道の「美意識」を学ぶ。

博多合戦

 

 

1978年8月

 

福岡市博多区の祗園駅

地下鉄工事にともなって

実施された発掘調査で

 

大量の人骨が出土し

大きな話題になりました。

 

 

 

 

この人骨は

110体の男性の頭骨で

中には刀の傷があり、

 

のちに「博多合戦」で討たれた

菊池一族のものであることが

わかりました。

 

この物語の主人公となる人物が

菊池武時公です。

 

東福寺所蔵:菊池武時公像

 

彼は「延寿鍛冶」を

菊池に招いた武房公の孫であり、

武重、武光の父です。

 

 

さて、

 

数年前、

居合道の

小林先生から頂いた絵画。

 

 

 

当初、

 

楠木正成公の

「桜井の別れ」と思っておりましたが、

 

よく見ると

渡している布のようなものに

菊池の二枚「鷹の羽」紋があることから

 

これが「袖が浦の別れ」

であることが判明。

 

その日から

この物語に

興味を持つようになりました。

 

 

「袖が浦の別れ」は

 

南北朝時代に菊池武時が

鎮西探題を攻めた時の

エピソードですが

 

南北朝なので

京都や鎌倉の話しと思う方も

いらっしゃるかもしれません。

 

実際、1991年の大河ドラマ

「太平記」でも一切、

九州は描かれませんので

 

そもそも九州では

戦いなどなかったと

思われても仕方ありませんが

 

実は「関ヶ原の戦いクラス」の

大きな戦いが

この南北朝時代におこっています。

 

 

残念ながら

博多に住む人でも

知らない人が多いのですが・・・

 

と言うわけで

 

ここで少し、

この「博多合戦」について

お話いたします。

 

 

時は1333年(元弘3年)、

後醍醐天皇が

配流先の隠岐を脱出し

京都へ向う時期、

 

 

九州では後醍醐天皇からの

「綸旨(りんじ)」が

菊池武時のもとへ届きました。

 

綸旨とは

 

「蔵人(くろうど)」と

呼ばれる律令制下の令外官が

天皇の意を受けて

発給する命令文書のことで

 

これを受けた武時は

少弐貞経、

大友貞宗に使者を使わし、

 

後醍醐天皇の綸旨に

同調するように呼びかけ、

 

わずか200騎で探題を襲います。

 

その中には

まだ若い菊池武重と

幼い武光もいましたが

 

勇敢にも

父・武時と共に

博多合戦に参加していました。

 

少弐や大友と攻めれば

間違いなく探題は落とせる

と思っていた武時でしたが

 

もともと幕府と繋がりの深い

少弐と大友は

菊池一族に同調するように見せて

土壇場で裏切ります。

 

 

資料:風雲菊池一族:画:藤森よしひろ

菊池白龍会

 

 

実際、菊池から見ると

少弐氏は裏切りものですが

 

もともと彼らは

幕府側なので

別の見方をすれば

菊池が裏切ったとも言えます。

 

しかし、元寇の恩賞が少なく

全国の武士は

鎌倉幕府に不満を抱いており、

 

さらには

 

後醍醐天皇からの

綸旨に対して初期に動いたのが

菊池武時公になり、

この流れは各地でおこっていました。

 

 

ちなみに少弐氏は、

この後の戦いでも

菊池を裏切るので小説などでも、

悪く描かれてしまいます。

 

さて、

話しは「博多合戦」に戻りますが

 

少人数で攻めていた菊池と

阿蘇の両勢は

少弐・大友軍と探題から

挟み撃ちに合い、

袖が浦の浜まで退却します。

 

 

そこで菊池武時は

息子である武重・武光に

菊池に戻るように命じ、

 

自分は敵陣に突撃していくのでした。

 

※まんが風雲菊池一族では

武時公が自分の「袖」をやぶって

息子達に渡すシーンが描かれています。

 

 

 

 

その時

武時が詠んだ辞世の句が残っています。

 

「ふるさとに今宵ばかりの命とも

知らでや人のわれを待つらん」

 

訳すると

「妻や子、一族の人たちは、

 

わたしの命が

今夜かぎりのものだとは知らないで、

いまかいまかと

私の帰りを待っていることだろう」

という意味です。

 

 

 

 

その後、

 

息子である

武重は本隊をつれて敵陣を突破し、

幼い武光は

聖福寺の大方和尚に

助けてもらい菊池に戻ります。

 

覚悟を決めた

武時の軍は最後のひとりまで戦い、

全員討ち死にしました。

 

そして600年以上の時を超えて

地下鉄工事でみつかった人骨は

 

現在、菊池神社に保管され、

大切に供養されているのでした。

 

あらためて

歴史を振り返り

多くのことを学びます。

 

 

次回は、

「袖が浦の別れ」はどこだったのか?

の謎に迫ります。

 

 

 

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