武士道の「美意識」を学ぶ。

肥後古流「菖蒲の茶会」2014

 

茶道史上

あまり取り上げられることのない

松井康之公ですが、

 

あの有名な

利休最晩年の書状は

利休が彼に宛てたものです。

 

数ある弟子の中で

「三斎と織部」だけが

堺に蟄居する利休を見送った。

 

このエピソードは

利休が康之に

宛てたからこそ残された・・・

と考えると

 

茶道の歴史にとって

松井家の存在は大きいと考えました。

 

本日は、あまり見ることのできない

松濱軒の「菖蒲の茶会」を

見学させていただきながら

少しだけ

松井家の美学に触れたいと思います。

 

 

平成26年6月1日(日)

熊本県八代市の「松濱軒」にて

第53回  肥後古流「菖蒲の茶会」

が開催されました。

 

 

この「松濱軒」は、

八代城主三代「松井直之公」が

元禄元年(1688年)

生母崇芳院尼のために建てたお茶屋で、

 

当初は八代海を見渡す浜辺に位置し、

松風も聞かれたというのが

邸名の由来です。

 

 

代々の藩主も多く清遊を試み、

「浜のお茶屋」の名でも知られました。

 

昭和24年に天皇、皇后両陛下の

行幸啓を仰ぎ、以後も

皇室の方々のお成りの栄に浴しております。

 

 

肥後菖蒲満月会の

厳しい掟の中、

唯一肥後花菖蒲の地植を許された

旧八代城主松井家。

 

花ごろ(六月の第一日曜日)の

茶会は好事界の名物行事となっており、

肥後古流の皆様の茶会が

開催されております。

 

およそ千株の花が

その門外不出とされる厳しい

栽培法鑑賞法の伝統の中で

今日までその華麗な花の心を

伝えています。

 

 

冒頭でもお話しましたが、

利休が切腹する前に宛てた

手紙の中でも重要なもの。

 

それは康之へ

宛てた手紙だとご説明しました。

 

利休は、その二週間後の

天正19年2月28日に京都の

聚落屋敷で切腹して果てます。

 

利休は

その前にも康之に

何通も手紙を送り、

 

その内容は

私的な厚情の溢れるもので

 

ただの細川家・家老という役職に

事務的に行ったものではなく

 

利休が心から松井を信頼していた

内容がわかります。

 

また、古田織部が天下一と賞賛した

「稲津肩衝」を所持し、

 

姫路城下に滞在中に

秀吉から茶室を営むに

格好の地を与えられ、これを「松井山」

と称したことから見ると

 

当時、

茶道界で一流の茶人として

松井家があったことを物語っています。

 

 

利休切腹の6年前

 

天正13年

津田宗久の茶会

「天王寺屋会記 宗久自会記」には、

細川忠興と松井康之が二人で招かれ、

 

その翌週の茶会では

細川幽斎と山上宗二とともに

康之は招かれたと書いてあります。

 

幽斎も宗二も

日本の芸能史上で特別な二人。

 

この二人と茶会に参加するためには

かなりの修行がなければ招かれません。

 

もちろん、幽斎や忠興の

ただの付き添いとして

参加しているのなら、

茶会記に名前を書くまでもなく、

 

やはり

後世にその名を伝えるべきと

考えられたからこそ

茶会記に記されたと考えます。

 

 

ちなみに

この天正13年

細川忠興が 23歳、

松井康之が 36歳

古田織部が 41歳

豊臣秀吉 48歳

千利休が 64歳

という年齢になります。

 

現代人として

普通にこの年齢を見ますと

 

忠興23歳と

利休64歳との間には

年齢的なギャップもあるでしょう

 

そこで、康之が

間に入ってサポートをしていた

のでしょうね。

 

 

利休は

この時期、晩年を迎えて

深い茶境の完成を間近にし、

またその結果として賜死を数年後に

控えていました。

 

忠興は今まさに青春の真っ只中で

茶道の美しさに魅せられ

修行を始めて10年ほど、

全てを吸収できる大切な時期。

 

それに対して

康之は修行20年を経て

茶の湯の深さを知り、

少し広い気持ちで茶道を

見ることができた

 

居合道の世界で言うならば

20年で八段になりますので

 

弟子を持ち、指導できるぐらいの

実力だったのではないでしょうか。

 

 

 

実際のところ、

康之は杵築城で亡くなったので

八代に来てはいませんが、

松井家が城主の格をもって遇されたのは

康之の功績。

 

そんな彼の美意識が

この松濱軒にも残され

現代にも受け継がれているのですね。

 

茶道の世界では

あえて表に出なかったのは

康之の美学だったようにも思います。

 

16歳で父と兄を失い、

20歳で細川家第一の家臣となり、

戦国の波乱を乗り越えた松井康之。

 

本日の最後は

松井康之「辞世の句」を紹介し

終わりたいと思います。

 

「やすく行道こそ道よ

是や此是そまことの道にいりける」

 

松井家の美学は

今日もここ八代に生き続けています。

 

 

資料:松濱軒パンフレットより

細川三斎茶の湯の世界 矢部誠一郎著 淡交社

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