光明禅寺(重森三玲の庭)
私は この庭を
居合道の「稽古」として
見ています。
そこには
居合道に共通する
美しさがありました。
ここ太宰府市の「光明禅寺」には
作庭家 重森三玲の庭があり、
昔から度々 訪れては
四季の美しさに
癒されております。
この寺は
鉄牛円心が開山し、
彼は、聖一国師・
円爾の第一の弟子で、
円爾が開山した博多の承天寺の
二代目住職となりました。
文永8年、
承天寺の住職であった鉄牛の前に、
天神様が現れ、
径山で無準師範から授かった
僧衣(伝衣)を一所に
安置して欲しいと告げられます。
鉄牛は、
天満宮の南の霊巌に
一僧宇を建て、
天神様の僧衣を安置したところ、
再び鉄牛の夢に天神様が現れて
礼を述べ、毎日霊巌に来て僧衣を
拝護していると告げられたことから、
寺の山号を「神護霊巌」、
寺名を「光明寺」と
呼ぶようになりました。
また、
能の「藍染川」では、
太宰府の神主が京の都で契った女が
子を連れて太宰府まで来たのですが、
神主に会えず、絶望して
藍染川に身を投げます。
しかし、女は天満天神の力で
蘇生するという物語。
そんなエピソードを知って
この寺に重森三玲が作った
「一滴海の庭」「仏光の庭」を見ると
また奥深く思います。
そんな美しい庭を作った
重森三玲は自身の著書で
こう語っています。
「石組ほど瞬間の大切なものはない。
石組の美しさは、
その瞬間においてのみ決定する。
書芸においても同様だと思う。
一点一画の筆を下した時の瞬間が、
もはや書の全体の美的構成を
左右していることは、
私も度々経験している。
石組において
常に経験することであるが、
ほんのちょっとした起こし方や
向け方は、庭全体の構成を
左右するのである。
だから石組に対しては、
その瞬間ほど大切なものはないし、
その瞬間こそは、
全力を傾倒しているのである」と・・。
それは私が、
無双直伝英信流の
岩田悠山 先生から
居合道を学んだ時の言葉に
よく似ていました。
「瞬間の美」
その「瞬間」を見つけ出すために、
無駄を省く「引き算の美」があります。
武士や禅僧たちが、水を感じるために
あえて 枯山水から
主役である「水」を抜いたように
それは余白を描き尽くす
西欧の油絵とは異なり、
日本画には
塗らない部分が光や余白をつくる
「引き算の美」がありました。
その美学が
庭にも居合道にもあります。
重森の庭で言うならば
白砂を用いた「残余」の表現のように
居合道で言うならば
日本刀を振り下ろしてからの「残心」。
また、庭の「余白」は、
時として
敵と己との「間合い」にも見えます。
このような感じで
先生の稽古は
「斬った」=「勝った」でなく、
斬ることで人の命を奪う
「もののあはれ」を感じる
想像力までも身につける稽古でした。
先生は私にいつも
「芸術」的な感性で指導され、
私も「芸術」として受け止めます。
それが結果として
「武士道」と「美」を
繋げてくれました。
例えば、立ち技には
「抜刀」と「奥の技」があり、
この二重構造が
藤原定家の和歌のように
表と奥に二つの意味があることを
「連想」させました。
見わたせば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮
それは
秋の海辺に粗末な小屋が建っている
という単純な意味ではなく、
そこには見事な花が咲き、
紅葉があったものが消えた
「もののあはれ」があり、
花で「時間」、
紅葉で「空間」を表現し、
「苫屋」と「夕暮」で
「わび」を表現する
奥の深い世界がありました。
私は、
敵を倒す術としてだけなら
居合道を続けなかったと思いますが
岩田先生は「居合道」に
この「和歌」や「庭」にある
「瞬間の美」を感じる
「感性」が必要であることを
教えて下さいました。
この「光明禅寺」に入ると
先生がいつもおっしゃっていた
「居合は自然体」という言葉を
思い出します。
この庭を見ることは
居合道を稽古することに通じ、
どちらにしても
日本独自の感性が大切だということを
実感するのでした。
光明禅寺
福岡県太宰府市宰府2丁目16-1
西鉄「太宰府」駅下車 徒歩約5分
九州道太宰府ICから約15分
拝観料 200円、
参拝時間 8:00~17:00
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