菊池一族と延寿鍛冶展(元寇編4)

 

 

菊池一族と延寿鍛冶(元寇編4)は

 

福岡県の「志賀島」をご紹介したい。

 

蒙古軍の攻撃によって

多くの日本人犠牲者がでたエピソードを

いくつか紹介してきたが

 

今度は逆に

蒙古兵の犠牲者について紹介する。

 

なぜなら、蒙古や高麗の人達にも

尊い犠牲があったことを私達は

知るべきだと思ったからである。

 

 

ここ志賀島には

「蒙古塚」というバス停がある。

 

この地は、文永11年(1274年)および

弘安4年(1281年)の

二度にわたる元寇襲来の古戦場とされ、

 

古くは「首切塚」とも呼ばれていた。

 

地元では「首キレ」とも

呼ばれていたという。

 

700年以上経過した今でも、

誰かが塚上の供養塔に

花や茶、おにぎりを供えている。

 

さらに

古い五輪塔が立っていて、

心やさしい人の供養が700年

続いていることを物語っている。

 

※写真は供養塔を建立した時の写真。

 

ここは元寇のさい捕らえられた

元軍兵士の首をはねた所と伝えられ

 

怨霊がさまよっているとして

島の人は長い間近づかなかったといわれる。

 

 

昭和のはじめに高鍋日統という

日蓮宗の僧が提唱して

 

供養塔を建てる運動が始まり

昭和2年(1927年)5月15日付の碑銘で

翌3年3月7日に落成除幕を行った。

 

 

昭和13年(1938年)には蒙古連盟自治政府の

指導者である徳王も参拝され、

現在は福岡市中央区の

勝立寺の飛び地境内として祭祀されている。

 

菊池一族を含む日本軍にも

多くの犠牲者を出したが、

蒙古軍にも多数の犠牲者を出している。

 

「首キレの蒙古首切塚」から

悲しい物語をぬぐい捨てて

 

「蒙古塚」と、今のように呼ぶことを

発起人一同の名で宣言したという。

 

 

 

その蒙古塚の近くに

志賀島ビジターセンターという場所があり、

元寇の貴重な資料を見学に行った。

 

そこには

蒙古兵の兜が飾ってあった。

 

 

 

蒙古塚と同じように

この兜も

 

憎しみを永遠に忘却し、

日本と外国の友情を固めていくという

願いであるように思えた。

 

菊池一族の「延寿刀」とともに

この「兜」も700年の時を越え

私達に様々なことを教えてくれる。

 

 

私達は歴史から多くのことを

学ばなければならない。

 

長いこと九州に住んでいて

知らないことばかり・・・

 

菊池一族と延寿鍛冶展から

元寇を知り

平和の尊さを考える一日になった。

 

 

菊池一族と延寿鍛冶展(2017)は

2017年4月1日(土)〜5月7日(日)まで

菊池市の菊池夢美術館にて開催します。

 

700年の歴史を越え

私達に多くのことを教えてくれる

名刀達が勢揃いする展覧会です。

 

今まで

一般に公開されていない

門外不出の名刀が集結します。

 

ぜひ、「菊池一族と延寿鍛冶展」で

延寿鍛冶の魅力を知っていただければ

幸いです。

詳しくは菊池観光協会公式サイトまで

 

菊池一族と延寿鍛冶展(元寇編その1)はこちら

菊池一族と延寿鍛冶展(元寇編その2)はこちら

菊池一族と延寿鍛冶展(元寇編その3)はこちら

 

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