にほひをこせよ 梅の花

 

 

梅の花

紅の色にも似たるかな

阿古がほほにも

つけたくぞある

 

 

これは

 

菅原道真公が

 

5歳の時に詠んだ歌です。

 

 

道真公は845年、

代々「文章道」を研究する家系

「菅原氏」の長男として

誕生しました。

 

幼い頃の名前は「阿古(あこ)」。

 

 

道真公は、

藤原時平との政争に敗れて

大宰府へ左遷されることとなり、

 

延喜元年(901年)、

屋敷内の庭木のうち

日頃からとりわけ愛でてきた

 

梅の木との

別れを惜しみました。

 

そのときに詠んだ歌が

有名な

 

「東風ふかば

にほひをこせよ 梅の花

あるじなしとて 春なわすれそ」

 

です。

 

 

意味は、

春の風が吹いたら

咲いて香りを届けておくれ。

梅の花よ、主人が居なくなっても

春を忘れるな・・・

 

という詩。

切ないですね。でも

 

約1,100年ほど前に詠まれた

この詩が

時代を越えて

現代にも受け継がれています。

 

そんな梅の花を見たくて

 

一昨日は、

久しぶりに

太宰府天満宮に

行ってまいりました。

 

 

あいにくの雨・・・

ですが

神社に雨は縁起がいい。

 

雲の上に龍神がいるような

神聖な空気を感じます。

 

雨の雫が

梅の花を美しく輝かせ

 

道真公を含めた

 

古代の歌人が「梅」をテーマに

たくさんの和歌を作ったことが

この素晴らしい景色で

理解できます。

 

実は・・古代の日本で

「春の花」と言えば「梅」でした。

 

和歌の世界では

8世紀中頃の万葉集では

 

桜より梅の歌が多く、

古今和歌集になって

春の主役が

桜に変わっていきます。

 

 

ちなみに

大宰府天満宮から

九州国立博物館への上り口左手に

大伴旅人が詠んだ歌が

石碑に刻まれています。

 

ここにも

 

「我が園に

梅の花散るひさかたの

天あめより雪の

流れ来るかも」 大伴旅人

 

 

太宰府だから梅なのは

当然ですが、調べると他にも

梅の歌が多いことが分かります。

 

武士と言えば「桜」。

 

梅よりも桜が「日本」という

イメージが強いですが、

 

古代の日本が梅の花を

特別に思っていたことが

太宰府に来ると実感できます。

 

 

しかし

その当時、

中国から渡来した「梅」よりも、

日本に自生する「桜」に

社会の流れが

シフトしていったのか・・

 

よくよく時代を考えると

 

894年に遣唐使の廃止があり、

この時代の中心人物も

菅原道真公でしたね。

 

日本の歴史にとっても

大きな変換期だったのでしょう。

 

幼い頃から天才と言われ

漢文学に精通した道真公。

そんな彼の

幼少期の漢詩「月夜見梅花」では

 

「 月の輝くこと晴れたる雪の如し

梅花は照れる星に似たり

憐れむべし 金鏡転じ

庭上に玉房の馨れることを」と詠み、

 

彼が亡くなる直前に

詠んだ漢詩にも
「城に満ち

郭にあふれて幾ばくの梅花ぞ

なほこれ風光の早歳の華のごとし

雁の足に粘き将ては

帛を繋げたるかと疑ふ

鳥の頭に点じては

家に帰らんことを思ふ」

 

という詩を詠み、

よほど梅に想いがあったことが

うかがえます。

 

2015年3月1日(日)

一昨日の梅を少しご紹介します。

 

 

昨日の梅の開花状況は[満開]でした。

 

境内には、約200種、

約6,000本の白梅・紅梅があり、

日本有数の梅の名所となっております。

 

 

今年の梅の開花は、

2月中旬から3月上旬にかけてが

見ごろと予想され、

 

これから一重、

八重をはじめ豊富な種類の梅が

見事に咲き、境内は

芳しい梅の香りに包まれます。

 

 

そして

この日は偶然にも

あの行事が開催されるとのこと。

 

雨の中、もうすでに

会場には大勢のお客様が

並んでいらっしゃいました。

 

 

 

それは

きょくすいのえん「曲水の宴」。

 

平安時代、朝廷で、

三月三日の

上巳(じようし)の節句に行われた遊宴。

 

曲水のほとりの所々に参会者が座り、

上流から流される杯が

自分の前を通過しないうちに詩歌を作り、

杯を取って酒を飲み、次へ杯を流す。

 

そして

終わって宴を設け、

それぞれの詩歌を披露するという

優雅な行事。

 

 

もとは中国で行われていたもので

中国では、禊(みそぎ)をし、

 

汚れをはらい水に流す習俗があり、

のちには流れに臨んで宴を

開いたことがルーツとされます。

 

すると・・・

十二単(じゅうにひとえ)をまとった

美しい姫をはじめ

平安装束に身をつつんだ

凛々しい参宴者が登場します。

 

 

 

とても良い時期に

太宰府に来ることができて

嬉しく思いました。

 

太宰府天満宮は、

道真公の御墓所の上に

ご社殿を造営し、

 

その御神霊おみたまを

永久にお祀りしている神社です。

 

「学問・至誠しせい・

厄除けの神様」として、

 

日本全国はもとより

広く世のご崇敬を集め、

 

年間に約700万人の

参拝者が訪れています。

 

 

 

再び京都に戻ることなく

悲しい59年の生涯に

幕を閉じた道真公でしたが、

 

今でも多くの人達に愛されています。

 

 

梅の花から

時空を越えた美しさを

教えてもらいました。

 

そして

 

天満宮にお参りをして

神社を出ると

 

太宰府商店街の端に

 

一人の修行僧が

立っていらっしゃいました。

 

 

一言もしゃべらず

黙って下を向いている

その姿は、

 

まるで

道真公の冥福を

祈っているように見え

 

自分が昔の太宰府に

タイムスリップしたような

感覚になりました。

 

「春の風が吹いたら

咲いて香りを届けておくれ。

梅の花よ

主人が居なくなっても

春を忘れるな・・・」

 

どこかで

道真公が

そう囁いてるみたいで

 

あらためて

太宰府に来て良かったなと

思いました。

 

 

 

 

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

コメントを残す

XHTML: You can use these tags: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

武士道