田辺城と古今伝授(その2)

 

天橋立から味土野を見学し、

田辺城公園にやって来た私たちは、

資料館を見学させていただきました。

 

 

さっそく

細川幽斎公の像。

写真は見たことがありましたが、

実物を見ることができて嬉しかったです。

 

こんな「お顔」を

されていたのでしょうか?

かっこいいですね。

 

奥にもたくさんの資料が展示してあり、

とても楽しみです。

 

さらに、

ボランティアガイドの皆様から

地元の貴重なお話をお聞かせいただき、

とても感謝です。

 

 

この田辺籠城。

多くの歴史ファンの皆様は

よくご存知だと思いますが、

説明いたしますと

 

豊臣秀吉の死後、石田三成と

徳川家康の対立を中心とした

諸大名の勢力争いが激しくなり、

 

慶長5年(1600年)6月、家康は

会津の上杉征伐のため江戸に向かいます。

 

この時、細川忠興公は家康に

加勢するため、2800の兵とともに

田辺を出発。一方三成は、

この機会に家康の勢力を除かんとして

大阪で挙兵し、家康方についた

細川征伐のために関西の諸将に対して、

丹後出陣を命じました。

 

※ 上写真:田辺籠城戦復元イラスト

※ 資料館展示:学研 歴史群像シリーズ

※ 監修 吉岡博之 イラスト香川元太郎

 

前回もご紹介したように

この時、細川幽斎公は、この田辺城の

宮津城などを焼き、守りに適した

田辺城で留守軍500余名を指揮し、

籠城の態勢をとりました。

 

慶長5年7月20日、

福知山城主小野木公郷を総大将に

石田方軍勢1万5千人が丹後に侵攻、

 

田辺城のまわりに陣どり、

遠まきに攻撃を加え、

攻防戦がはじまりました。

 

 

その後は、皆様ご存知のように

幽斎公が「古今和歌集」の秘事口伝の

伝承者であったため、後陽成天皇の勅令で

関ヶ原の戦いが始る3日前の

9月12日に包囲が解かれ、

50余日にわたる田辺籠城は

終わりをつげました。

 

 

この場所で実際に

戦国時代におこった出来事だと

思うと歴史のロマンを感じますね。

 

 

 

次に説明していただいたのは

鎧甲冑(よろいかっちゅう)。

 

だいたいお城などには、どこにでも

鎧甲冑が展示してあるのですが

 

これは少し変わった事に使用されたもの。

 

 

細川家の後に田辺城を治めた

牧野家ゆかりの鎧甲冑なのですが、

 

これは

鉄砲の試し撃ちをした鎧甲冑

なんだそうです。

 

 

江戸時代初期の甲冑。

実戦向きにつくられており、

兜と胴には強度を確かめるための

火縄銃による試し撃ちの傷跡が

見られます。わかりますか?

 

お腹のところがへこんでます。

 

 

火縄銃を発見。

 

その下には

日本刀が展示してあります。

 

 

肥前国住忠吉の

「わきざし」でした。

 

 

この他にも多数展示してあったのですが

 

閉館の時間になり、公園のほうにも

ボランティアガイドの皆様が待機されて

いらっしゃるので

残念ながら、資料館の見学はここで終了。

 

少しの間でしたが、

貴重な資料を見学できて

本当に楽しい時間を過ごしました。

 

そして、いよいよ

古今伝授ゆかりの公園を訪ねます。

 

田辺城と古今伝授は(その3 )へ

続きます。

 

 

 

 

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