受け継がれる「日本刀鑑定」

 

 

 

 

これは「日本刀・相州伝の鑑定」をまとめた巻物。

 

 

 

 

 

 

まだ、

 

 

印刷など無かった時代、

 

誰かが、こうやって手で書いたり、

 

口伝によって鑑定を伝えてくれたおかげで

 

 

今、私達が学ぶことができる。

 

本当にありがたい資料です。

 

 

 

 

ちなみに「五郎入道正宗を訪ねて」の時に

少し説明しました。

 

相州とは「神奈川県」のこと。

 

 

 

北条五代目の執権、

 

北条時頼により

建長(1250)頃に

 

京都の粟田口派から「粟田口国綱」、

 

備前国からは「備前三郎国宗」、

 

少し遅れて文永三年(1266)に将軍職につかれた

惟康親王(これやすしんのう)によって

 

備前福岡一文字派の助真一門の移住を見て、

鎌倉に「鍛冶の基礎」が築かれたと言われています。

 

 

 

 

 

実は、今でも解っていないことも多く、

「謎」が多いのも「日本刀」の世界。

 

でも、そこが面白い。

 

 

 

「備前三郎国宗」の子

「新藤五国光」が「粟田口国綱」の養子となり、

(別説では国光は国綱の老後の子で、国宗に学んだとも言われる)

 

 

備前伝と山城伝を双方学び、新しい鍛刀法を工夫し、

さらにこの技法を「行光」に伝え、行光はさらに

 

「正宗」に伝授したと言われています。

 

 

 

即ち、

 

相州伝は国綱、国宗より教えを受けた

「新藤五国光」が素地を造り

 

「行光」の研究を経て「正宗」によって完成されたもので

「正宗」が全て作った世界ではありません。

 

しかし、その高い「芸術性」

「折れず曲がらずよく斬れる」実用性など全てが

「正宗」の魅力となり高い評価を得ました。

 

 

 

700年以上も前の「日本刀」を

平成の今になって勉強できるのも

 

相州伝の優秀な刀鍛冶と

 

このような貴重な資料を伝えてきた

「研究者」のおかげ。

 

私達、人間が「日本刀」を手に入れても

たった何十年かだけ「お借り」しているようなもの。

 

しかし、その「美しさ」が人から人へ

何百年も繋がっていく中に「永遠」を感じます。

 

この文化を「次の世代」に伝えたいと思った人達の

想いが、この「巻物」にもあるように思いました。

 

「日本刀の文化」は「日本の歴史」そのもの。

 

 

 

居合道と同様に、ますます面白くなってきました。

 

 

 

 

 

資料:東京国立博物館

国立国会図書館貴重書展「銘尽(めいづくし)」

日本刀の研究と鑑定(古刀編)常石英明著

筑前刀剣

 

 

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