肥後金工の源流を訪ねて(その5)

 

本日は、

今まで

ほとんど公開されたことのない

貴重な

肥後金工の制作現場をご紹介。

 

 

ご協力していただいたのは

肥後金工師

菊川輝夫先生

 

菊川先生は、肥後金工の人間国宝

故「米光太平・光正」先生の弟子で

現在も熊本にて肥後金工を制作しておられる先生。

 

 

1876年(明治9年)に廃刀令が出されて

この国に職業としての武士がいなくなった時から、

刀装具の需要は激減した。

 

日清・日露、さらには第一次・第二次世界大戦と続く

激動の時代でも

菊川先生達が伝統を受け継いでこられたおかげで

肥後金工の文化が熊本に残る。

 

ちなみに上の写真は

金槌

 

 

こちらは鑢(やすり)。

 

基本的に金工において鑢は

大、中、小、平、角(すみ)、丸、半月、

中心(なかご)、線目(いとめ)、櫃(ひつ)、

棗(なつめ)、鱗(うろこ)、苔(こけ)、刃薄(はうす)などの

種類があるという。

 

職人達は、それぞれの用途に応じた鑢を工夫する。

 

 

肥後金工師で最も大切な鏨(たがね)。

写真は、ほんの一部だが、

この鏨が重要な役割をする。

 

書家や画家における筆のようなもので、

何十種類も存在し、この鏨で

あの細かい肥後金工の象嵌などを作っていく。

 

 

菊川先生は現代的な道具も

活用しておられ、肥後金工の世界も

進化していることを実感した。

 

 

「まつやに」や特殊な台に固定し

ひとつひとつ丁寧に肥後金工を制作していく。

 

なんと言っても

8センチ四方の小天地に

1ミリより小さい細工をする

繊細な芸術だから、

道具にも、こだわりが必要となる。

 

 

もともと鐔(つば)は、刀を構えたとき

刀身全体の重さの釣り合いを保つためのものであり、

また自らの拳や篭手(こて)を護るために

作られたものである。

 

しかし、武士は

わずか8センチにもみたない世界に

鍛え抜かれたくろがねの美を見いだし、

さらに様々な物語や故事・伝説・文学・自然を楽しめ

肉彫(にくぼり)・象嵌(ぞうがん)・色絵・透彫といった

彫金の伝統技術を求めた。

 

 

さらに鐔は

日本刀と同じ玉鋼(たまはがね)で

できているところも魅力のひとつ。

 

武士の魂に触れることができる

芸術である。

 

 

菊川先生のような芸術家が

いらっしゃるからこそ、

武士の伝統は伝えられている。

 

この素晴らしい文化を一人でも多くの方に

知っていただきたいし、

技術を受け継ぐ職人さんが増えることを願う。

 

あらてめて

肥後金工の魅力を感じる1日だった。

 

※資料:刀装金工鑑定必携 雄山閣

週間 人間国宝 朝日新聞社

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1 Comment »

 
  • 平四郎吉政 より:

    おはようございます。

    米光師の直弟子さんが、今でも刀装具を製作されているのですね。
    肥後の錆色と象嵌の金色のマッチングが大好きです。
    以前、知り合いの病院の先生に、北九州市若松在住の鍔師、長嶺雅臣師をご紹介頂、師の
    ご自宅にお邪魔した事があります。
    師の奥様が仰っていたのは『命をすり減らす様に真剣にヤスリをいれている。』また
    余技で、三八式歩兵銃(アリサカライフル)のミニチュアを作っている時には、楽しそうに作って
    いらっしゃるそうです。
    肥後鍔、肥後縁頭、馬針は儀らしい本当に素晴らしいですよね。

 

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