肥後金工の源流を訪ねて(その4)

 

史上最悪の将軍が

日本人に「永遠の遺産」を残した。

 

 

 

その将軍の名は・・・

 

 

室町幕府8代将軍「足利義政」

 

 

この史上最悪と呼ばれた将軍が、

すべての日本人に

永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だった。

 

 

建築、庭園、生け花、茶の湯、

そして能

 

今の時代にも

燦然と輝く日本文化の「美の源流」は

この最悪と呼ばれる将軍がつくった。

 

 

ドナルド・キーン氏の

「足利義政と銀閣寺」という本を

ご紹介したい。

 

 

時代は

1467年

 

義政の優柔不断な後継者問題で戦争勃発。

京の都は焼け野原。

 

細川勝元と山名宗全ら

有力守護大名が

あちらこちら闘って

それが、戦国時代へと繋がっていく

有名な「応仁の乱」である。

 

 

なにせ

京都で

「応仁の乱」の戦火を免れた現在の建物は、

 

三十三間堂、六波羅蜜寺など

数えるほどしかないと言うから

どれだけ悲惨な戦争だったか想像できる。

 

 

この日本中が

ドンパチしている時に

時代の将軍だった「足利義政」は

政治を放棄して

 

芸術に全てを捧げた・・・

 

 

言葉はかっこいいが、

もし、今、

日本の総理大臣が、原発も消費税も

「や〜めた」と放棄して

いきなり「芸術活動」を始めるなんてありえない。

 

しかし、義政はどうすることもできず、

現実逃避するように「芸術」に没頭していった。

 

ところが・・・

 

その無駄と言われる「芸術活動」が

のちに「日本の美意識の基準」を作ることに

繋がっていくのである。

 

ちなみに

「応仁の乱」の戦火を免れ

義政が芸術活動の拠点としたのが

この建物。

 

 

銀閣寺にある

国宝「東求堂」と

中にある四畳半の「同仁斎」。

 

この「同仁斎」こそが

「書院造の始まり」であり、

「四畳半茶室の始まり」であり、

「草庵茶室の源流」といわれる貴重な建築だった。

 

 

前置きが長くなってしまったが、

話は本題に入る

 

「肥後金工」と「足利義政や同仁斎」に何の関係があるかと

思われる人もいるかもしれない。

 

しかし、この「同仁斎」を知らないと

「詫び数寄が語れない」。

 

「詫びたりとばかり見るべからず」ではないが

こういう書院造りの世界が生まれたからこそ、

草庵の茶の湯に崩していけたのであり、

利休の茶の湯に繋がっていった。

 

それが

結果として細川三斎(細川忠興)の美学

「肥後金工」へと繋がるのである。

 

 

よく考えると

細川は足利に仕えていた武士。

 

織田信長が細川を必要としたのは

朝廷ともやり取りできる

当時の幕府・足利幕府を知りつくした

文化的レベルの高さが天下統一に必要だったから。

 

当時の戦国大名で

足利家の文化を総合的に理解していたのは

三斎の父、細川幽斎。

 

 

幽斎は

古今伝授の継承者であり、茶人であり、

建築、絵画、書、能などの達人だった。

 

細川三斎(細川忠興)は

DNAの中に足利義政の文化を持っていたことになる。

 

 

私達は

「肥後金工」を見る時、

利休と三斎の美学だけを見てはならない。

 

そこには

利休の前に

ぜいたくではなやかな茶会から、

静かな世界へと変化させた

義政の美学があり、

 

村田珠光(むらたじゅこう)という茶の湯の達人が始めた

簡素(かんそ)で落ち着いた草庵(そうあん)の茶法があり、

 

武野紹鴎(たけのじょうおう)という

珠光(じゅこう)が理想とした草庵(そうあん)の茶を学び、

それをさらに簡素(かんそ)にした「わび茶」がある流れの中で

 

利休の世界が生まれ、三斎が影響を受けて

 

「肥後金工」のデザインが生まれていったことを

知らなければならない。

 

 

ところで

現代は、無駄を排除することが

求められる時代である。

 

しかし、世界に残る芸術や国宝、

世界遺産の建築などを見てみよう。

 

大きな無駄の中から生まれたものばかりである。

 

義政こそ

史上最悪の将軍と呼ばれるが

ドナルドキーン氏の指摘するように

「すべての日本人に永遠の遺産を残した

唯一最高の将軍」であり、彼の心性こそが

現代人の芸術の祖であると私も思う。

 

できれば、忙しい毎日でも

日本の伝統文化を鑑賞しながら

「義政」が求めた

心の余裕を持ってみてはいかがだろうか?

 

「無駄」と呼ばれる「心の余裕」こそが

あなたの「永遠の遺産」を残すことに繋がっていく。

 

 

参考文献:ドナルドキーン「足利義政と銀閣寺(中公文庫・角地幸男訳)」

永青文庫、wikipedia 千利休 細川忠興 細川幽斎 応仁の乱

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