素晴らしき刀装具の世界(その2)

 

初心を忘るれば、初心、子孫に伝わるべからず。

初心を忘れずして、初心を重代(ぢゅうだい)すべし。

 

この「初心忘るべからず」という言葉を

はじめて使ったのは

能を作った「世阿弥」と言われています。

 

正確には観阿弥・世阿弥の親子。

室町幕府3代将軍、足利義満の時代に

日本の能を芸術まで高めました。

 

 

貴族に対して無教養、野蛮と見られていた武士に

貴族にはない武士の芸術的な世界を作りたかった足利義満は

能に目をつけ、世阿弥たちを保護しました。

 

世阿弥は時の人となり、天下の能楽師になります。

 

しかし、その栄華も長くは続きませんでした。

足利義教の時代になり

弾圧され、世阿弥は苦しい人生を歩みます。

 

結果、世阿弥は悲しい最後を迎えましたが、

彼の残した偉大なる芸術・能は

細川幽斎、豊臣秀吉、徳川家康などにも受け継がれ、

武士のステイタスになっていくのでした。

 

 

江戸時代になると

農民や商人と身分の差をはっきりさせる意味もあり、

能は、武士のための専門芸術として定められます。

 

この鐔(つば)たちは、

そんな武士のステイタスとも言える能を

デザインした鐔。

 

芸術としての能を学ぶだけでなく、

能を通じて「世阿弥」が悟った心も学び、

自分自身の「武士道」に活かしたいという

願いがあったのではないかと思います。

 

 

世阿弥は、現代でも通じる

たくさんの言葉を残しています。

例えば、

 

「珍しきばかりをすれば、また珍しからず。

古きに新しきを交ふれば、古きもまた新しきも、

ともに珍しきなり。これ、まことの花なるべし。」

 

意味は、

「珍しいというのは、世の中にないものを

突然つくりだすことではない。

普段使っているものに少しだけ

新しいものが混ざることが珍しいのだ。」

という教え。

 

現在の商品開発や

ビジネスにも通じる言葉ですね。

 

 

また、

よく居合道でも使われる

「守・破・離(しゅはり)」

という言葉も世阿弥の言葉とのこと。

 

守 教えをひたすらに守り、学ぶ

破 教えの言葉から抜けだし、真の意味を会得する

離 型に一切とらわれず、自在の境地に入ること

 

武士は能の鐔を愛用することで

「守・破・離(しゅはり)」の教えを

学ぼうとしていたのか?

そんなことを考えてしまいました。

 

 

私達は

この鐔(武士の芸術)を見る時に

彼らが、この時、何を考え

このデザインを選んだのか?

を想像することも必要です。

 

古美術の世界では

鐔の金額がいくら?

というのも大切なことかもしれませんが、

彼らが残したものから

今を生きるためのヒントを学びたい。

 

 

昔の武士も

私達と同じ人間だったのですから。

 

 

最後に

世阿弥が「風姿花伝」で言った

稽古の基本についての教えをお伝えします。

 

「稽古は強かれ、

情識(じゃうしき)はなかれ」とは、これなるべし

 

【意味】

稽古は厳しくしなければならない、

そして、慢心があってはならない。   世阿弥

 

 

 

資料:softbankcreative 世阿弥に学ぶ100年ブランドの本質

creative commons lisence: special thanks  walters  art museum

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