加藤清正の短刀発見 と 利休切腹

 

先月の3月8日の熊日新聞に

気になる記事が掲載されていましたので紹介いたします。

鎌倉時代中期を代表する刀工

「吉光(よしみつ)」の銘入り短刀と、

加藤清正(1562〜1611)が活躍した桃山時代の作と

見られる拵(こしらえ)鞘(さや)などの刀装が7日、

清正の菩提寺・本妙寺(熊本市)の

宝物館収蔵庫で見つかった。

 

吉光は正宗と並ぶ名工で、作品の短刀には国宝や

国重要文化財もある。

鑑定した京都国立博物館名誉館員の稲田和彦さんは

「吉光の銘が入った短刀は少なく非常に貴重。

清正の短刀であった可能性もある」と話している。

 

吉光は京都粟田口にいた短刀作りの名手。

正宗とともに、吉光の刀を手に入れることは

大名のステータスだったという。

現存する吉光の在銘短刀は約二十振にとどまり、

県内では今回が初めて。

 

短刀の刃長は21.4センチ。小ぶりで刃文などに吉光の

特徴が見られ、保存状態が良い。

 

拵は長さ約35センチ。牛革製の茶皺革(ちゃしぼがわ)包で

束は籐(とう)巻きの黒漆塗り。作風から桃山時代に

肥後で作られたものと見られ、同時代の拵が現存するのは

珍しいという。豊臣秀吉の遺児・秀頼と徳川家康の

二条城会見に清正が臨んだ際、清正が所持していた拵

(本妙寺所蔵)に作風が似ている。

 

吉光の短刀は、1731 (享保16)年に書かれた

本妙寺古来之什物帳に記されているが、所在が分からなかった。

拵とともに、加藤家の家紋入りの箱に保管されていた(藤本英行)

※資料:熊本日日新聞(2012.3.8)より参照

 

 

ちなみに、

千利休が、天正19年(1591)に割腹した刀も

粟田口藤四郎「吉光」の作と言われています。

 

 

平造りで反りがなく、表裏に棒樋(ぼうび)を彫る。

よく鍛えられた肌は落ち着いた小板目で

刃文も繊細な直刃(すぐは)を焼き出すなど、

優美な作風を示している。

 

 

茎(なかご)には

「吉光」の二字銘を刻む。拵は利休拵(りきゅうこしらえ)と

呼ばれ、本阿弥光徳に依頼して作らせたものといわれる。

 

つかは角黒塗りの縁頭(ふちがしら)をはめて籐で巻き、

その中央に赤銅(しゃくどう)

の梅枝文目抜(ばいしもんめぬき)を

据え、鞘は全く金具類を用いず、全体に黒漆を塗り、

栗形と鐺(こじり)は丸形にした簡素な作りである。

 

総体いかにも利休好みの渋く落着いた作風を示している。

刀身は、もと加賀金沢の商人こぶ屋が所持していたため、

こぶや藤四郎と呼ばれ、

のちに利休の所持するところとなっている。

※資料:京都国立博物館1990 特別展覧会四百年忌  千利休展図録より参照。

 

粟田口藤四郎吉光について

http://ja.wikipedia.org/wiki/粟田口吉光

 

 

 

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