楽長次郎と志水甚五(肥後鐔・肥後金工)
肥後金工(肥後鐔)を研究する上で
避けては通れない「千利休の美学」。
この美学を知れば知るほど
私は「ダヴィンチコード」ならぬ「利休コード」が
肥後金工(肥後鐔)の中にあることを感じました。
今日は、その一例をご紹介いたします。
肥後金工は「利休七哲」の一人だった
細川忠興(細川三斎)公が
アートディレクションして職人達に作らせた
刀装具です。
日本の刀装具で
最も「利休美学」「茶道美学」を持ったものと言われ
全国的に愛されて続けている芸術品です。
その肥後金工(肥後鐔)には四主流があり、
今日ご紹介するのは「志水家」です。
一般的に「甚五」と言われますが
初代 志水仁兵衛
二代 志水甚五郎
三代 志水甚五永次
と優れた職人が続き
多数の芸術品を残しました。
この斬新なデザイン。
ゴッホのように素朴で
棟方志功のように豪快な表現もある。
今から300年以上も前とは思えない「新しさ」を感じます。
私はこの「志水甚五」がたまらなく好きです。
その甚五を
質感、色に気づくことがありました。
それは、まさに
「渋い」
という言葉がぴったりの「茶道」の道具。
わかりますか?
それは
「楽焼」。
千利休が最も愛し
楽長次郎に依頼した「楽焼」です。
同じ時代に美濃で焼かれた瀬戸黒、黄瀬戸、志野、織部などは
各地に散在する窯でいろんな陶工が作ったのに対して
利休は
長次郎に「楽家」として一家族単体の工房で
手作りの味わいを活かして制作してもらったのでした。
その独特の造形性は
まさに利休の侘茶に対する理念と結びついていると言われ
「無一物」「大クロ」「一文字」など
日本の宝とも言うべき作品が存在します。
この楽焼きの質感と「志水家」が作った
肥後金工の質感がよく似ています。
写真では解りにくいと思いますが
手に触れるとよく似ているのです。
志水家の鍔に触ってみました。
これが陶器ではなく「鉄」だから驚きました。
見た目は陶器のように感じます。
また、「楽家」と共同制作した利休のように
細川忠興公も「志水家」だけにこの表現を依頼し、
ディレクションしながら
この鍔を作ってもらいました。
他の四流派とは別世界。
当然、忠興公は利休の弟子で長次郎の焼物を見て、
侘び寂びの美学を伝授されています。
だからこそ肥後金工に
茶道の渋い「利休コード」が存在しますし、
この「楽焼」の質感が入っているのだと思いました。
もしかしたら、
楽焼きを実際に甚五達に見せて
肥後金工の作風を指導したかもしれません。
鉄とは思えない「楽焼」の手でこねたような質感。
派手な表現を避け、「渋い」という言葉がぴったり。
この鍔から私は
利休の茶室と同じような美学を感じました。
表面のデザインはこうですが
さりげない裏面のデザインが
また肥後金工の魅力のひとつ。
ワンポイントだけ。
庭に咲いていた朝顔の花を全部きって
茶室に一輪だけ飾った利休の無駄を削ぎ落とす美学が
こんなとこにも流れているような気がしますね。
ところで
現在、忠興公がいた八代城は石垣だけになっています。
その向かい側に、ひっそりとある松井神社に
忠興公は住んでいたと言われます。
この場所に志水家の職人が来て
肥後金工を忠興に見せていたかは解りません。
しかし、
この八代(やつしろ)という
小さな街から全国の武士がブランドと呼んだ
志水家の肥後金工が生まれたのは事実です。
晩年を忠興公は利休との思い出を懐かしみながら
芸術を作り上げていったのではないでしょうか?
私は甚五の鐔から楽焼と同じ
「手のひらの中の宇宙」を感じとりました。
芸術の秋に「楽焼」と
「肥後金工」の存在を知っていただければ幸いです。
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.