戦国の「茶の湯」とは何だったのか?

細川忠興(細川三斎)公や、古田織部公など

 

多くの戦国武将にとって「茶の湯」とは

「作品」だったのか?

それとも政治としての「武器」だったのか?

また人間を完成させていく「道」や、

「宗教的存在」だったのか?

 

どれも当てはまりそうですが実際のところ大きな謎です。

戦国時代の「茶の湯」は現在の社交的なお茶と違い、

常に死と隣合わせでした。

 

実際、利休居士が茶を点てた多くの武将が

戦で死んでおり、

忠興公も血で血を洗う多数の戦を経験しながら

茶会を開いています。

 

今の常識じゃ考えられません。

この平和な世界で美を求めるものとは大きく違う。

茶の湯が、

生きるか死ぬかの乱世で確立されたからこそ

忠興公は茶の湯に

静寂さと宗教的な深さを見いだしたのではないか?と

考えました。

それは

彼が晩年、八代で作らせた肥後金工にも

同じようなテーマを感じることができます。

だからこそ刀装具において日本で最も高い

芸術的評価がされたのではないかと思います。

「なぜ武士は人を殺すための刀装具に芸術を求めたのか?」

この大きなテーマの謎を解く鍵が

戦国の「茶の湯」にあるように思いました。

そして

利休居士もまた、秀吉に反抗し「切腹」という最後を迎えたことも

忘れてはいけません。

茶の湯の中心人物が

商人でありながら、「切腹」という武士の儀式を行った。

 

彼も武士のように

大きな何かと戦っていたのだと思います。

戦国の「茶の湯」とは何だったのか?

それは誰にも解りませんが、

命がけの時代だったからこそ

「一期一会」の精神がより極まったと思いますし、

現代を生きる私達も戦国の「茶の湯」を学ぶことで

人生に役に立つことがあるように思いました。

 

皆様も戦国の「茶の湯」を調べてみては

いかがでしょうか?

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