武士道の「美意識」を学ぶ。

博多ライトアップウォーク2011

2011年 11月2日(水)から 6日(日)まで

福岡市にて「福岡ライトアップウォーク2011」が開催。

これは、寺社や庭園をライトアップして

博多の魅力を再発見していただきたという思いから

スタートしたイベント。

まずは美しくライトアップされた「東長寺」の本堂。

この「東長寺」は弘法大師(空海)によって開かれました。

 

平安時代初期の僧であり、真言宗の開祖である弘法大師(空海)は

806年、唐での修行を終え博多に帰着。

真言密教が東方へ広がることを祈願し「東長蜜寺」と名付けました。

弘法大師が創建したものとして日本最古の寺院です。

本堂には弘法大師自作と伝えられる弘法大師像があります。

まるで京都に来ているようです・・・

 

東長寺五重塔は2011年に博多の新しいシンボル、

地域活性化の思い、未来の文化財として完成しました。

 

総ひのき造りの全長26m、鮮やかな朱に塗られた柱や

五層の優美な屋根が美しくライトアップされていました。

博多は古くからアジアとの繋がりが深い場所。

当時の最先端の文化や情報が上陸した場所なのです。

 

次は「承天寺」です。「承天寺」は1242年に創建。

源頼朝によって鎮西奉行に任じられた

大宰小弐武藤資頼が博多に居住して

対外貿易に活躍した謝国明が大檀越(施主)となり、

聖一国師を招いて開山されました。

美しくライトアップされているのは

玄界灘を表現した白砂、

奥には中国に見立てた緑庭が 広がる洗濤庭。

玄海灘の波の力強さを

光のグラデーションで表現し

幻想的な色彩のハーモニーで、

大陸と博多の交流の歴史を今に伝えているとのこと。

美しいですね。

それでは「承天寺」の中に入ってみましょう。

さすがに人が多いですね。入り口も大行列でした。

中には部屋のいたるところに芸術があり

博多の歴史を感じさせます。

こちらは「博多織」が展示。

「博多織」は、黒田氏から徳川家に献上されたもの。

現在でもお土産物としても多くの人に愛されています。

 

ところで

 

突然ですが・・・・

 

あなたは

「うどん」好きですか?

 

実は・・・

この「承天寺」の聖一国師は

宋から「うどん」「そば」「饅頭」などの製法を持ち帰り

粉食文化を広めた人なのです。

博多と言えば「ラーメン」が有名ですが

「うどん」「そば」「饅頭」とも深い関わりがあったのですね。

これからの季節は温かい「うどん」や「蕎麦」が

美味しい季節ですね。

「承天寺」と「うどん」「そば」の歴史。

私は知りませんでした。

勉強になります。

 

さて、

続いては「妙楽寺」のご紹介。

妙楽寺は、1316年、「月堂宗規」によって開山されました。

草創の寺地は博多湾岸にあり、近くに石築地(防塁)があったことから、

石城山妙楽円満禅寺といわれたそうです。

遣明使一行が宿泊するなど対外交渉の一拠点となっており、

博多商人とも関連の深い寺院です。

 

なんと!ここには

「神屋宗湛」の墓があります。

皆さんは「神屋宗湛」を知っていますか?

宗湛は、あの天下人・織田信長に謁見した博多の豪商です。

 

千利休居士とも友人で

秀吉の九州征伐においても資金的な援助をしています。

茶道を修行されている方でも

なかな知らない人が多いのですが、

宗湛は『宗湛日記』という

秀吉時代に活躍したことをまとめた茶会記を残しています。

 

後世の偽書とも疑われていますが

秀吉政権の内部を知る上では貴重な史書の一つともされ、

茶道の文化にも影響を与えています。

秀吉が病死してからは、その後に天下人になった

徳川家康から冷遇され、

関ヶ原の闘い後に黒田長政が移封されると

宗湛の豪商としての力は衰え83歳で亡くなり

この「妙楽寺」にお墓があるのです。

利休も秀吉も博多に来て、茶会を開いた。

その一部始終を宗湛は見ているんですね。

 

そんな彼がこの場所に眠っています。

こちらは「妙楽寺」の開山堂。

御堂であり「水月庵」と号されるこの開山堂は、

300年以上経った今でも堂々した姿で残っています。

通常は見ることができないのですが

特別に見ることができました。

こちらは「方丈」。

たくさんの人で賑わっていました。

外に出ると「博多塀」が。

さて、次の場所へ移動します。

寺の外に出て通りを歩くとお洒落なお店がありました。

ゆっくり歩いて次の目的地へ。

続いては「順心寺」です。

みなさんは日本の「茶」のはじまりがどこか知っていますか?

静岡?八女?

実は「博多」なんです。

 

約八百年前に栄西禅師は中国より

初めて禅宗臨済宗の神髄を体得して帰国、

 

鎌倉の将軍源頼朝公より現在地を賜り、

後鳥羽上皇の震筆を得て日本最所の禅宗の寺聖福寺を建立しました。

 

その折、中国より茶の種子を持ち帰り境内地と

背振山に植えたのが茶のはじめです。

現在頼朝公より賜った約三万坪は禅宗発祥の地として

国の重要特別史跡に指定を受けています。

 

順心寺は今をさかのぼること六百三十余年

夢庵顕一禅師によって開創されし由緒ある寺です。

順心寺は栄西禅師が開山した臨済宗建仁寺派のお寺です。

栄西禅師は鎌倉時代初期に日本臨済宗を開祖した人で、

『喫茶』の習慣を日本に伝えたことでも知られています。

 

さて、

いよいよ最後の場所となりました。

博多と言えば

この祭、「博多祇園山笠」です。

そして「博多祇園山笠」と言えば「櫛田神社」。

地元の人々から「お櫛田さん」と親しまれる博多の総鎮守です。

757年に伊勢国から大幡主大神を勧請し鎮祭するために

創立された「櫛田神社」。

江戸時代には東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していましたが、

明治元年(1868年)に神仏分離令が発布され独立しました。

博多祇園山笠では、

早朝の太鼓の合図とともに舁き山が境内の清道を巡り、

博多のまちへと駆け出します。

こちらは元祖「博多べい」。

利休とも交流のあった博多の豪商

「島井宗室」の屋敷跡で三百八十余年の風雪に耐えた

最後の「博多ベい」が移築再建されています。

「島井宗室」も 、さきほどの「神屋宗湛」と並ぶ博多の豪商。

この「島井宗室」もまた凄い人物なんです。

 

なんと

あの織田信長が欲しがった

天下一の茶道具を「博多」で持っていました。

それは

戦国時代に天下一品の茶道具として名を天下に轟かせた

楢柴肩衝(ならしばかたつき)。

 

ちなみに

肩衝とは、肩の部分が角ばっている茶入のことです。

 

信じられないかもしれませんが

「楢柴肩衝(ならしばかたつき)と国ひとつが同じぐらいの価値」

 

例えば、福岡県と茶碗一つが同じ価値という

とんでもない付加価値が戦国時代は存在していました。

 

「島井宗室」も博多の「武士道美術」を語るうえで

重要な存在です。

さて、今回はライトアップされた博多の文化財を見学しました。

まだまだ私達の知らない「武士の時代」の謎が隠されている博多。

 

まるで「光の玉手箱」のような博多の街を今後も楽しみましょう。

※参考資料:博多ライトアップウォーク2011パンフレット。

写真資料:福岡市

 

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