黒田官兵衛
黒田 官兵衛を200%楽しむ方法。
黒田家が福岡の藩主になる前、そして中津の大名になる前から官兵衛は福岡のことを知りつくしていた。それは秀吉の九州征伐の時に戦奉行として博多を調べる仕事を任されていたからだった。最初は古代から使われてきた山城「名島城」に入ろうとするが、手狭なので新しい城を考える。その候補地となったのが「箱崎」「春吉」「荒戸山(西公園)」「現在地」だった。
名島城から立花山を見る。きっと古代は「のろし」をあげて海からの侵略 を知らせたのだろう。遠くまでよく見える場所に城があった。
現在の箱崎宮がある「箱崎」は砂地の上に御笠川(石堂川)と多々良川があるので水攻めの危険性がある。高松城の水攻めなど数々の戦を経験してきた官兵衛だからこそ、水攻めの恐ろしさを誰よりも知っていた。また「春吉」は那珂川に近く、広いが、土地が低いので盛り土に経費がかかる。荒戸山(西公園)は北に海をひかえ、前に草ケ江の入り江があるので防備に最適。しかし、地盤が弱い。そこで総合的に赤坂山という小さな山を削ればいい現在の福岡城跡の場所を選ぶ。この地がもともと福崎と呼ばれ、福の字がついて縁起が良く、自分達の先祖が備前岡山の福岡に住んでいたので福崎を福岡という地名に変えてしまった。
荒戸山から市内が見える。
地元では有名だが、今も福岡市中央区大名一丁目西鉄グランドホテル前近くに見られる急カーブが築城法にいう四折桝形町割りの仕掛け。四ツ角をわざとギクシャク食い違わせ、戦のときに中心点の道路の一方を急造の家などでふさいでしまう。突進してきた何も知らない敵軍はそのまま別の道に流され。城下町に入れないトリック。だから今でも渋滞するのか・・
福岡の人達は今でも黒田官兵衛の築いた世界に住んでいる。
西鉄グランドホテル前の仕掛け。 この他、海に面した寺院15はいつ でも物資の補給や連絡が取れる 兵站基地になったという。
武士道