光雲神社には福岡藩祖・黒田官兵衛(如水)と福岡藩初代藩主・長政が祀られている。神社の名前は、2人の龍光院殿(如水)、興雲院殿(長政)という法名から一字ずつ取って名付けられた。かつて光雲神社のある西公園は荒戸山(荒津山)といわれ、金龍寺という禅寺があり、福岡藩2代藩主・忠之のとき、この山に徳川家康を祀る東照宮が建立。
のちに金龍寺は福岡の鳥飼という場所に移された。
徳川幕府が倒れ、明治維新を迎えると、東照宮の意義も薄れ参詣者も絶え、明治40年(1907年)、東照宮跡に光雲神社が建立。社殿は昭和20年6月19日の福岡大空襲で全焼したが、昭和41年に再建された。
拝殿の天井画は、舞鶴の地名にちなんだめでたい丹頂鶴で、木原信画伯が描いている。お賽銭をあげて参拝すると鶴の声が聞こえるという。
拝殿の天井画は、舞鶴の地名にちなんだめでたい丹頂鶴で、木原信画伯が描いている。お賽銭をあげて参拝すると鶴の声が聞こえるという。
境内にある黒田二十四騎の一人・母里太兵衛(ぼりたへえ)の銅像。右手には、酒を飲み干し、福島正則からもらったといわれる「名槍日本号」を持つ。像の下部には、太兵衛をモデルとした民謡「黒田節」の歌詞が刻まれ、福岡に来た旅の記念に訪れたい場所である。