大切なものは無駄の中にある
京都の人が
「先の戦争で・・・」と言うと
それは? 1467年
「応仁の乱」のことを意味します。
ご存知のとおり
第二次世界大戦の戦火を
逃れた京都にとって
この戦争こそが「先の戦争」であり、
この時、京都を襲った
国宝級文化財の壊滅で
一旦、ゼロに戻ったことが
その後の
日本人の美意識に
大きな影響を与えました。
それは、
茶道などに通じる
簡素を旨とする無駄のない美。
そんな優れた感性を
1400年代に
すでに発見していた日本人。
素晴らしいですね。
ちなみに
この美意識は、20世紀に
合理主義・機能主義的な芸術で
世界中に影響を及ぼした
バウハウスの誕生よりも
300年以上前のこと。
普通、
世界的に見ても
権力者は欲望とともに
デザインを華やかに
そして
自分を偉大に見せるために
より複雑なデザインに
していくのが
当たり前なのに対し、
この「応仁の乱」時代の将軍
「足利義政」は、
その真逆の
簡潔・質素をたたえる美へと
向かっていきました。
ドナルド・キーン先生の
書籍にもあるように
当時の彼は、
史上最悪の将軍と言われたのです。
しかし、そんな将軍が
日本人に「永遠の遺産」を残した。
茶道、華道、庭園、建築など
現代において
日本と言えば・・・
という「デザイン」は
ほとんど
この最悪の将軍が大きな無駄の中で
生み出したもの。
そう考えると
無駄と言われる
心の余裕が今の日本人にも
必要なのかもしれません。
戦後69年、
日本は世界TOPクラスの
先進国になりました。
しかし、
アジア経済の活性化、
新しいエネルギーの問題、
教育や少子高齢化など
様々な問題をかかえております。
歴史的転換期に立つ今、
無駄と言われた
「足利義政の感性」って
やっぱり、凄く大切なんじゃないか?
と思うのです。
この「応仁の乱」で失ったからこそ
見えてきたものが何だったのか?
戦後69年経過した今だからこそ
彼の辿り着いた美意識を
もう一度見直し、
心に余裕を持っていきたいと
思いました。
居合道も「間合い」を大切にしますが
人間が生きる中にも
この「間合い」に通じる
大きな余裕が
必要なのではないでしょうか?
そんなことを
このお盆に考えておりました。
資料:伝 足利義政像 (伝 土佐光信画
東京国立博物館蔵)
ドナルド・キーン(足利義政と銀閣寺)
原研哉 日本のデザイン
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