同田貫(その2 )

 

 

 

鎌倉から南北朝時代に

肥後・熊本の菊池氏が

名匠「来國俊」の流れを汲む

延寿一派を菊池の「西寺村」に招き、

 

菊池一族の衰退後、

その延寿一派は

周辺の村々に分かれていきました。

 

その一つが

菊池市にある稗方の「同田貫(地名)」です。

 

前回、

 

同田貫(その1)


にて、この場所を

 

「ずだぬき」や「ずだぬく」と呼び、

 

親しみを込めて「ずだぬきどん」とも

呼んでいたとご紹介しましたが

 

 

今回は、その稗方に伝わる

「伝統文化」の話題から始めます。

 

今年、菊池市の祭で偶然、

稗方で受け継がれている

 

「舞」を見学させていただきました。

 

写真は、その時の踊りとは違いますが

稗方の皆様が踊りを

菊池神社に奉納している様子です。

 

 

 

 

実際の祭では

日本刀を持って踊っていたので驚きました。

 

お話を聞けば、

古来より稗方に伝わっている舞とのこと。

 

一緒に見学していた地元の皆様も

 

「あれは、よく考えたら日本刀やね」

 

「稗方が刀鍛冶と関係あるからなのか・・・」

 

と改めて意識したとのことで

 

今まで、それが当たり前で

特に意識もしていなかったそうですが

 

よく考えると九州でも

舞の中に「日本刀」を持つものは少なく、

これは同田貫の発祥の地

稗方「ならでは」のものだと思いました。

 

 

 

とても美しい舞でした。

 

ぜひ、日本刀で舞う姿を

いつの日かご紹介できれば幸いです。

 

さて、

 

この稗方は

菊池一族の滅亡後、

 

天文23年(1554年)、

豊後の大友義鎮(よししげ = 宗麟)公が

治めるようになり、

 

大友氏のお抱え鍛冶である

豊後高田鍛冶が菊池に入り、

 

次に加藤清正公が肥後の領主になり、

延寿や同田貫の一部が

 

稗方村同田貫から亀甲村へ、

今村木下から伊倉南方村へ移ります。

 

現在で言うところの菊池市から

玉名市へ移るのですが

 

彼らは玉名に移っても菊池の地名である

「同田貫」を名乗り続けます。

 

また、

 

余談ですが

興味深いのは

「九州同田貫」と銘を切っているところ。

 

 

 

今回の展覧会で撮影した同田貫にも

「九州同田貫」とあり、

あえて

「九州」という文字を入れています。

 

 

 

 

それから

私が以前、撮影した

肥後金工「遠山の鐔」にも

 

 

 

 

「九州」という字があり、

 

他の肥後金工師が

誰も「九州」とは銘を切っていないのに

 

あえて、

遠山だけが「九州」と

入れているのは何か

理由があるように思いました。

 

 

 

遠山は

 

頼家・頼次という作家が有名で

肥後金工大鑑でも紹介されていますが

謎が多く詳しいことは解っていません。

 

 

しかし平田、西垣、志水、林という

肥後金工の四流派は

 

加藤清正公と

細川三斎公が

 

それぞれ京都や名古屋などの

九州以外から連れて来た職人達。

 

また、平田、西垣、志水は

細川三齋公と一緒に

 

京都から八代に移ってきたので

 

「九州」という場所へのこだわりは

なかったように思います。

 

おそらく遠山は、

同田貫と同じく菊池一族時代から

九州に住んでいた

 

地元の鍛冶職人の関係だったからこそ

 

九州以外から来た職人とは違うことを

アピールして

 

あえて「九州」を入れたのではないか?

そんなことを思い個人的に調べていたら

私以外にも、そのことを

指摘されていらっしゃる方がいたので

同感でした。

 

もちろん同田貫の原点となった

延寿一派も京都の「来一派」から

移り住んでいるので

 

その点では

細川家が京都から連れてきた

肥後金工師と一緒なのですが

 

来一派が九州に来る前から

 

地元の玉名・山鹿・菊池では

古代から阿蘇の噴火でできた

良質な砂鉄があり、製鉄技術が盛んで

鉄剣で有名な江田船山古墳も

ありますから古い時代から

製鉄の文化がありました。

 

この稗方も古代から

その文化があるように思いました。

 

 

 

 

また、菊池観光協会の皆様と

稗方の同田貫屋敷跡を整備していた時、

 

そこで拾った石に錆のような

鉄の成分が付着していました。

 

 

 

 

聞けば、この場所で鉄を鍛えていたとか。

彼らにとって

「九州」の

この場所が特別だったのでは

ないでしょうか?

 

 

 

写真は、観光協会の皆様が整備している様子。

 

この時期は熊本地震の前の

ちょうど桜の季節でした。

 

 

 

 

美しい景色。

地面には美しい水が流れています。

 

製鉄に水は必要ですから

刀鍛冶達が

ここで鉄を鍛えたのだろうか?

 

この景色を「同田貫」の刀鍛冶が

見ていたのでしょう・・・

 

 

などと考えていたら

遥か古代からの

歴史のロマンを感じますね(笑)

 

 

 

同田貫は(その3)へと続きます。

 

 

 

 

お問い合わせは

一般社団法人菊池観光協会

熊本県菊池市隈府1273-1

TEL:0968-25-0513

 

 

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