新春に「肥後拵」を作る(平成28年)

 

あけましておめでとうございます。

 

いよいよ

肥後拵(ひごこしらえ)を作ることに

なりまして

 

平成28年の1月3日に

 

熊本市にお住まいの

肥後金工師・菊川輝夫先生の

ご自宅にお伺いして

 

打ち合わせしてまいりました。

 

 

菊川輝夫先生は

 

肥後金工の人間国宝・

米光太平・光正(故)先生に弟子入りし

 

肥後金工の掟を伝承した

数少ない職人で、

 

現在、熊本城・城彩苑

お菓子の香梅様で展示しております

「歌仙拵」を制作された先生です。

 

 

肥後には肥後の掟があり、

細かいところが他の流派とは違います。

 

その伝統を現在に受け継ぎ

制作していらっしゃる菊川先生の

作品を拝見しながら、

細かく打ち合わせする現場を見学します。

 

 

 

今から45年ほど前、

 

太田先生の師匠だった

 

宮本武蔵・二天一流

15代宗家(故)松永展幸先生が

 

八代の金剛兵衛盛高さんに

日本刀を依頼されました。

 

その時に運転手として

付き添ったのが太田先生でした。

 

あれから月日が流れ、

縁あって我が家に

この刀がやってくることになり、

 

今回、菊川先生に

お願いして、肥後拵を制作することに

なりました。

 

 

鍔は甚五。

 

これは太田先生が誠心館道場の皆様に

お祝いで

いただいた記念の「肥後鍔」。

 

この「甚五」と「金剛兵衛盛高」をテーマに

「オール肥後」にて

菊川先生プロデュース開始です。

 

 

打ち合わせは細かく行われます。

 

武士道美術館をご覧の皆様も

なかなか、肥後拵を注文する現場を

見る事はないと思います。

 

とても貴重な時間でした。

 

ちなみに資料をみながら、

菊川先生が現在、制作している鍔です。

 

 

細かい作業に驚きました。

87歳になり、身体も思うように動かなくなった

とおっしゃる菊川先生。

 

職人の技が素晴らしいですね。

 

また、

現在、肥後の細かい掟を

知っていらっしゃる先生は

菊川先生しかおらず、

 

日本の伝統文化という意味で

重要な先生です。

 

この現場を拝見できて

本当にありがたいです。

 

 

肥後拵は

鐺(こじり)という鞘(さや)の先端が

鉄という掟。

それは細川三斎公がプロデュースした

実戦に基づく拵の形。

 

通常の拵の鐺(こじり)は木ですが

肥後は鉄。

 

鞘が戦場で割れてしまわないための工夫。

 

関ヶ原など数々の戦場で戦った

細川三斎公ならではのデザインです。

 

 

太田先生は

「なた豆」を目貫にしたいと依頼。

これは「歌仙兼定」にも使われていますね。

 

歌仙兼定についてはコチラ

 

 

 

菊川先生のメモをご覧下さい。

目貫(太刀分)と書いてありますね。

 

太刀を分ける

 

すなわち、相手の刀を避け、

「なた豆」のように

真ん中でスパッと

綺麗に「真っ二つ」に斬ることを

意味し、縁起が良いものとして

デザインされているのです。

 

 

武士の時代が終わり

刀が必要ではなくなった時代に

 

日本刀を作る職人と

日本刀を使う居合人

 

私達、居合人が

新しく作品を作っていかなければ

職人の伝統文化も終わってしまう・・

 

と太田先生は

おっしゃいます。

 

新春に「肥後拵」を作る。

ありがたいですね。

 

今年も多くの皆様に感謝しながら

武士道美術館を

続けてまいりますので

 

全国の皆様、どうぞ本年も

宜しくお願いいたします。

 

菊川先生、

本日は ありがとうございました。

 

 

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