不動智神妙録9

 

本日も

沢庵和尚(たくあんおしょう)が

柳生宗矩(やぎゅうむねのり)

のために

「仏法」を通して剣を説き、

 

さらに剣に生きる

姿勢を説くなかで、

 

人が人として生きるには、

どうすべきかを説いた

「不動智神妙録」から学びます。

 

本日のテーマは

「心を止めないことが肝要」です。

 

 

 

石火の機(せっかのき)

ということがあります。

これも、間髪を容れずと同じです。

 

 

石をハタと打ちますと、

その瞬間に光が出ます。

 

石を打つのと

火が出るとの間に

隙間というものはございません。

 

つまり、それは

心を止める間のないことを

表しているのであって、

素早いことを

意味しているのではないのです。

 

「心を物に止めない」

ということが大切なのです。

 

スピードが早いというのも、

結局は心を止めないから早いので

そこが肝心なところです。

 

 

心が何かにとらわれれば

人にこちらの心を

捉えられてしまいます。

 

早くしようと心の中で

あらかじめ思って早くすれば、

心はその思ったことに

奪われてしまいます。

 

 

西行の歌集に

「世をいとふ人とし聞けは

かりの宿に、心を止むなと

思うはかりぞ」という歌があります。

 

これは、
天王寺参詣の途中

江口という場所を通り掛かった

西行法師が、

 

急な雨降りで遊女宿に

一夜の宿を乞うた所、

断られてしまいました。

 

 

そこで西行法師は

 

「世の中を厭う(いとふ)までこそ

かたからめ、

かりの宿りを惜しむ君か」

と詠みます。

 

意味は

「悩み多い世の中を嫌って

出家するまでは貴方にとって

難しいでしょうが、

一時の宿を貸すのも貴方は

惜しむのですか?」

 

すると・・・

江口の遊女が返します。

 

「世を厭う(いとふ)人とし聞けば

仮の宿に、

心を止むな(執着するな)と

思うはかりぞ・・

 

意味は

あなたは悩み多い世の中を嫌って

出家された方なのに、

一時の宿に執着されるなと

思うだけなのです・・

 

そして
この江口の遊女が詠んだ

「心とむなと思ふはかりぞ」という

下の句こそが

「兵法の極意を極めたもの」に

あたるのです。
「心を止めないこと」

 

これが肝要です。

禅宗で「仏とは」と問うならば、

 

拳を差し上げることでしょう。

「仏法の極意とは」と問えば、

 

問う声が未だ終わらぬうちに

「一枝の梅の花である」とか

「庭の柏の樹である」などと

答えるに違いありません。

 

その答えが善いとか

悪いとかを言うよりも

止まらぬ心を尊ぶのです。

止まらぬ心は、色にも香りにも

移ることがありません。

 

この移らぬ心の姿を神といい、

仏といい、禅心とも

極意ともいうのですが、

考えに考えていうのならば、

 

立派な文句をいったとしても

それは迷いとされるのです。

沢庵宗彭(たくあんしゅうほう)

 

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資料:

沢庵不動智神妙録

池田論訳

タチバナ教養文庫

 

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1 Comment »

 
  • 藤 孝典 より:

    苔むす三千院の庭のお地蔵さんに人の世の無常を教えられた事を思い出しました。人の世に生きて、何かにとらわれ、何かを愛でて、無を求める事こそ、人生、頑張りましょう。

 

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