菊池一族歴史交流シンポジウム 2014

 

平成26年11月29日(土)

熊本県菊池市文化会館大ホールにて

菊池一族歴史交流シンポジウムが

開催されました。

 

 

菊池一族は

延久2 (1070)年、

太宰府荘官として赴任した

初代則隆にはじまり、

平安時代から室町時代後半までの

約450年に亘って肥後(熊本)を中心に

活躍した一族です。

 

 

南北朝時代の15代・菊池武光は、

後醍醐天皇の皇子・懐良親王を

征西将軍として菊池へ迎え、

12年間に亘って九州を

統治するほどの勢力を誇り、

現在も地域の人々に尊敬を受けています。

 

 

本日のシンポジウムは

「菊池一族の心 今ここに集う」

ということで、菊池一族を縁とする

菊池市、西米良村(宮崎県)、

遠野市(岩手県)、龍郷町(鹿児島県)の

友好姉妹都市と菊池の会が集い、

共に一族の歴史を学び、現在まで

受け継がれている歴史文化について、

 

その時代背景の考察を行い、

より一層の絆と交流を深めながら、

併せて多くの人々に菊池一族に対する

関心、歴史認識を高めることを目的として

開催されました。

 

 

まずは

国重要無形民俗文化財に

指定されております

御松囃子御能(おんまつばやしおのう)

が披露されます。

 

 

御松囃子御能は

菊池に650年ほど伝承されている芸能で、

南北朝時代、15代菊池武光公が

後醍醐天皇の皇子・懐良親王を

菊池へお迎えして征西府を置いた時、

年頭の祝儀として正月2日に

菊池本城で催したのが始まりと

伝えられています。

 

 

明治3年に菊池神社が創建されると、

神社の神事として行われるようになりました。

この能は、天下泰平と国家安穏を

祈ったもので、懐良親王お手植えと

伝えられる椋の巨木「将軍の木」を

親王と見立て、正面に位置する能場で

演じられており、

毎年菊池神社社季大祭の10月13日に

奉納されています。

 

 

また、奉納では狂言も行われており、

300年以上の歴史があります。

松囃子能は、全体として舞の振りが

古風で、謡の調子にも素朴な要素を

留めており、中世から現代の能への

変遷過程を知る上でも貴重であるとして、

国重要無形民俗文化財に

指定されています。

(指定名称「菊池の松囃子」)

 

 

なかなか表にでることのない

貴重な能ですので、

この画像で初めて見る人も

多いのではないでしょうか?

美しく品格のある動きに会場の皆様も

感動しているご様子でした。

 

 

さて、

菊池市は

豊かな水資源と肥沃な大地を活かした

農林畜産業を基幹産業としており、

特に畜産業においては、

西日本有数の産出額を誇っています。

 

 

また、「菊池米、水田ごぼう、イチゴ、メロン、

かすみ草、乾しいたけ」などの誇れる

農産物が豊富にあり、中でも

「七城のこめ」は日本穀物検定協会の

食味ランキングにおいて

最高評価である「特A」を2008年産米から

2013年産米まで、6年連続で獲得しています。

 

 

観光は、毎年約30万人の観光客が訪れる

菊池渓谷や日本の名湯百選に認定された

菊池温泉のほか、各地にコスモス、

ホタルなどの四季を彩る自然があり、

 

菊池一族の歴史とともに

伝統と文化を育んでいる場所です。

菊池市公式サイトはコチラ

 

 

本日は、菊池市と姉妹都市の皆様と

菊池の会の皆様が全国から集まり、

パネルディスカッションも開催されます。

 

 

会場では、このイベントのために

作られた手ぬぐいを頭に巻き、

菊池一族の時代に

タイムスリップしたような雰囲気です。

 

 

まずは、西米良村のご紹介です。

米良・菊池の歴史は、1501(文亀元)年、

菊池氏第22代能運が室町幕府の追討による

一族の根絶を憂い、その一子を

日向の国米良山にひそかに落ち延びさせた

ことから始ります。

 

入山した菊池氏は米良性を名乗りましたが、

文武に優れ、礼節を重んじ、合議制による

民主的な施政を敷き、幕末までの

約400年にわたり村を統治しました。

 

 

版籍奉還に際し、最後の領主である

則忠公は領地のすべてを領民に分け与え、

人々の生活を援助。

その遺徳は今もなお米良の歴史とともに

語り継がれています。

宮崎県西米良村公式サイトはコチラ

 

 

続いては岩手県遠野市です。

えっ?東北なのに菊池?と

思われる方も多いと思いますが、

石を投げれば「菊池さん」という名字にあたる

5人に1人は「菊池性」というのが

遠野と言われるそうで、

菊池一族との縁の深い場所とのこと。

 

遠野市は、岩手県中南部、北上高地に抱かれた

緑豊かなまちです。

古くから内陸部と沿岸部を結ぶ交通・

交易の要衝として栄え、江戸時代には

遠野南部家1万2千5百石の城下町として

発展しました。

 

 

市域の多くが山林という広大な自然を生かした

農林業を基幹とし、米を中心に

野菜、ホップや葉たばこが生産されています。

特にホップは国内有数の生産量を誇るほか、

本州唯一の競りが行われる乗用馬の山地としても

知られています。

 

日本民俗学の原典である「遠野物語」の

舞台でもあり、今に残る昔話や

郷土芸能、年中行事などの豊かな文化を

活かしたまちづくりを進めています。

 

 

先程もお話ししましたが

市民の22%(平成26年9月末時点)が

「菊池」性という縁から、

平成10年から熊本県菊池市と

平成18年から宮崎県西米良村と友好都市として

交流を続けています。

岩手県遠野市公式サイトはコチラ

 

 

続いては菊池一族である「西郷隆盛」翁と

縁深い龍郷町です。

龍郷町は沖縄本島と本土との

中間的な位置にあり、鹿児島市から

南西へ約380キロの奄美大島の北部にあります。

 

気候は海洋亜熱帯性気候で、

年間平均気温は21度、

降水量は年間3,000ミリに近く、

湿度が平均75パーセントと高いことが

特徴です。この特異な気候により、

穏やかで美しい景観が育まれ

奄美固有の貴重な動植物の宝庫としても

恵まれた大自然を有しています。

 

 

 

西郷隆盛翁と言えば「鹿児島」と

思われる方が多いと思いますが、

西郷家のルーツは菊池一族にあります。

 

その西郷翁が、この龍郷町に

滞在したことで

町には彼の精神を受け継いだ文化が

残っております。

平成24年10月27日に西郷翁を縁として

友好都市宣言を行っています。

鹿児島県 奄美大島 龍郷町公式サイトはコチラ

 

 

 

続いては、小説家であり、

NHKなどの歴史番組でも有名な

「童門冬二」先生の講演です。

 

タイトルは

「中世を生き抜いた菊池一族と

その歴史を活かした町づくりについて」です。

 

 

元寇という日本に危機が訪れた時、

急ぎ、駆けつけ必死に戦ったのは

菊池一族でした。

しかも、その後の恩賞というものを

菊池は貰おうとしなかった・・

 

菊池一族は、

菊池というエリアの人間であり、

日本という国の人間であり、

世界の一員であるという視点を

すでに、この時代に持っていた。

 

それは現代で言うと

「グローカリズム」という言葉で

目先の利益ではない愚直さ、

絆や繋がりを大切にする発想。

 

●平和に生きられる

●豊かに生きられる

●平等に生きられる

●正しく生きられる

●自己の向上

●交流

という菊池一族が持っていた視点は

現代にも活かすことができ、

その後の吉田松陰、横井小楠などにも

大きく影響を与えたことを

童門先生は語られました。

 

 

生き甲斐を感じるとともに

その土地に生涯をささげ、

次の世代へと文化を繋げていける意味の

死に甲斐を感じる場所。

 

生まれるのなら

働くのなら

生涯を、この地で行きて行くという意味での

死ぬなら・・菊池市と思えるような

魅力のある街づくりを目指すことを

先生はお話しされました。

 

また先生は

ルーマニアの作家

コンスタンチン・ゲオルギュの

“たとえ世界の終末は明日であろうとも、

わたしはきょうリンゴの木を植える”

ということばを紹介され、

 

恕とはものごとに思ひ(い)やりふかく、

人見ずなる身勝手<みがって>を

し給<たま>は(わ)ざることなり。
恕というのは、

どんなことでもいつも相手の身になって

考えるやさしさ・思いやりのこと。

相手のことなどおかまいなく、

自分さえよければいいなどということは、

ぜったいにしないという発想が

菊池にはあり、その文化を

受け継いでいってほしいと

お話しされました。

 

 

私も九州出身ですが

知らないことばかりで

多くのことを学ばせていただきました。

 

このようにシンポジウムは

盛大に開催され、各パネラーの皆様の

お話しも素晴らしく

とても勉強になりました。

 

また、最後に

菊池市の江頭市長様に

ご挨拶をさせていただくこともできました。

 

江頭市長様、

また、このシンポジウムを

ご紹介いただいた誠心館の上村先生、

また関係者の方々に心より感謝いたします。

 

本日は、ありがとうございました。

 

資料:菊池一族歴史シンポジウム

パンフレットより

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2 Comments »

 
  • 浅野倶彦 より:

    太田さんへ

    浅野です、浜松では楽しい時間をすごさせて頂きありがとうございました。さて、今回の菊池一族のお話しを見させていただいている時、ふと思い出したことがありました。それは、浅野家の家紋です。浅野家は丸に違い鷹の羽ですが、この由来が菊池家にあることです。菊池家は並び鷹の羽で”蒙古襲来絵詞”に菊池武房が軍旗に用いたことが始まりのようで?部門を誇ることから武家が好んで使ったとのこと、鷹の羽紋の種類だけでも60以上あるとか・。
    その一つとして浅野一族部門繁栄を意識し丸に違い鷹の羽を使ったようです。随分前に童門冬二さんとお話する機会があった時、童門さんから中村(名古屋)の浅野さんですかと聞かれ何かな?と思いましたら童門さんは、おね(秀吉の正妻)ゆかりの浅野かと思われたようで・・・因みに私の祖先は東濃の百姓のようで?東濃には土岐一族、女城主で有名?な岩村城(信長vs信玄の地)等歴史がありますが。童門さんはお会いする人には必ず出生地等に関することをお聴きになりご自分のお書きになる作品の情報源の一つにされるとの事とか、。その時、色紙に書いていただいた言葉が”恕”でした。不思議な縁を感じています。

    • ohta より:

      浅野様

      こちらこそ、ありがとうございます。
      私も熊本出身でありながら、しかも以前、菊池郡に住んでいながら
      知らないことばかりで勉強になりました。
      イベントでも鷹の羽の家紋の話題が出ておりましたし、
      菊池神社や、菊池出身の人の家には鷹の羽の家紋が多くあります。
      また、岩手県の遠野に菊池さんが、そんなにたくさん住んでいることなど
      知りませんでした。やはり地元ならではのイベントに参加すると
      面白いですね。童門先生のお話も大変勉強になりました。
      太田

 

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