光雲神社春季大祭(平成26年)
平成26年4月20日(日)
福岡市の光雲(てるも)神社にて
「光雲神社・春季大祭」が開催。
福岡 黒田藩伝
「柳生新影流兵法 荒津会」の
母里市兵衛忠一先生のご厚意により
荒津会の皆様と一緒に
太田光柾「居合道演武」を
奉納させていただきました。
毎週、楽しみに拝見しております。
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」より
光雲神社は今年、
平成26年「NHK大河ドラマ」
「軍師官兵衛」でおなじみの
黒田官兵衛
(龍光院殿、如水)公と
その子で初代福岡藩主
黒田長政
(興雲院殿)公を祀る神社で
社名は両神の法名から
一字ずつとって
光雲と書いて
「てるも」神社と呼びます。
また、母里先生は
母里太兵衛子孫の二十四代目。
大河ドラマで太兵衛は
「速水もこみちさん」が
演じていらっしゃいますね。
福岡と言えば「黒田節」
そのエピソードの元になったのが
こちらの銅像のモデルとなった
「母里太兵衛公」です。
母里太兵衛は槍術に優れた強力の勇将で、
優れた精鋭を集めた
「黒田二十四騎」の中でも
特に重用された「黒田八虎」の一人。
彼が、長政の盟友
福島正則のもとを訪れたとき、
正則が「一献受けろ」と酒を勧めます。
太兵衛は酒豪だったのですが、
長政の使いで来ているので、
お酒など呑めるはずがありませんでした。
しかし、どんなに断っても
正則は引き下がらず、
「この大盃を
見事に飲み干したならば、
お前の望みのものをやろう」
とまで言い出す。
ついには
「これしきの酒に
背を向けるとは黒田の者は
腰抜けばかりだ」と、
黒田藩を罵倒し、
太兵衛を挑発してきます。
これ以上断って
争いごとを起こしては
厄介だと腹を決めた太兵衛は、
大盃に並々とつがれた酒を
一気に飲み干した。
これが、かの有名な
「黒田節」の元になった話です。
今回は、そんな
母里太兵衛子孫の二十四代目
母里先生とのご縁で
参加させていただきました。
司会は黒田二十四騎
栗山善助公の末裔
ご演武は母里先生という
夢のコラボレーション。
黒田武士の伝統を現在に
受け継ぐ貴重な瞬間です。
刀に対して礼、
神前に対して拝礼を行い
いよいよ
「柳生新影流兵法 荒津会」の皆様の
奉納演武が開始いたします。
静寂を破るかのように
一瞬の動きで
その場にいた誰もが息をのむ。
一刀両断に斬られた巻藁。
素晴らしい母里先生の御演武。
そして荒津会の皆様の
御演武が始ります。
美しく迫力のある奉納演武を
ご覧下さい。
母里先生にお声をかけていただき
私も演武させていただきました。
演武は3本
無双直伝英信流1本と
全日本居合道連盟の刀法2本。
そして
母里先生の槍の御演武。
黒田二十四騎が
平成に甦ったような
迫力のある槍。
この後、
美しい黒田節の舞、
そして琴演奏、筑前琵琶演奏と
黒田の文化を受け継ぐ
素晴らしい芸術が奉納されました。
会場は大きな拍手につつまれ
光雲神社春季大祭は
無事に終了することができました。
今年は大河ドラマ
「軍師官兵衛」の影響もあり、
多くの皆様が注目している福岡。
もともとは黒田家が
岡山県の福岡に住んでいたことから
福崎と呼んでいた
この場所を「福岡」としたのが
「福岡県」の始まりです。
そう
福岡は黒田が作った街なのです。
その黒田武士の美学を
この場所を訪れる多くの皆様に
知っていただければと思いました。
また、
“戦わずして勝つ”というのが
新影流の奥義。
流派の垣根を越えて
日本の伝統文化が手をつなぎ
次の世代に繋げていけたらいいと
母里先生はおっしゃいます。
私も活人剣の居合道を目指して
今後も柳生新影流・荒津会の皆様と
交流を深めさせていただければ
幸いです。
光雲神社、黒田二十四騎、
柳生新影流・荒津会の皆様と
母里市兵衛忠一先生に
心より感謝いたします。
本日はありがとうございました。
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