16年間の「ありがとう」
16歳になる
我が家の犬が
昨日の夜に亡くなりました。
父と母は16年間、
お互いに交代しながら
朝と夕方
一日も休まず散歩に行き続けました。
雨の日も、夏の暑い日も
犬が散歩を望むので
雷がなる雨のひどい日でも
犬用のレインコートを着せて
散歩に行きました。
今年に入ってからは
毛が抜け、
片方の目が見えなくなり、
足が腫れ上がったので、
血が出る部分に包帯を巻いてやり、
犬の歩くペースに合わせて
散歩を続けました。
近所の子供が
その年老いてボロボロの姿を見て
からかったとしても
自分の足で歩きたいと願う
犬に合わせて
ゆっくり散歩を続けました。
昔、犬が若かった頃、
大きな犬に噛まれたことがあり、
助けようとした父は
その大きな犬の口を
手で開けようとして
その犬から噛まれました。
すると、透かさず
父を助けようと
その犬に
うちの犬が噛みつき、助け
血だらけで
帰ってきたことがありました。
それ以来、さらに仲良くなった二人。
もはや 私達も
犬ではなくて人間と同じ感覚で
生活してきました。
家の中で飼っていたので
毎日、一緒に寝て
いつも一緒。
居合道の稽古をする時は、
自然と道場から離れて
稽古が終わると
また自然と
道場にやってくる。
血統書など何もない
雑種の犬でしたが、
「お手」や「おかわり」は当たり前に
食事も「待て」と言えば、
「よし」と言うまで絶対に食べないし、
「ドアを閉めろ」と言えば、
ドアを閉めに行く。
そんな頭の良い犬でした。
2ヶ月ぐらい前から
両方の目が見えなくなりましたが
16年間
毎日のように散歩をしてきた
感覚が残っているために
外に出たがります。
それを
父と母は車に毛布を敷いて
公園に連れて行き
同じ場所をぐるぐるまわるだけですが
散歩をさせていました。
昨日は昼から
あまりにも鳴くので
父と母が交代で側に寝かせ、
8時から居合道の稽古のために
父が稽古をして終わった頃までは
呼吸をしていたようですが
風呂から上がって
見た時には、亡くなってたとのこと。
私達の「誠心館道場」ができた
次の年にやってきた愛犬は、
静かに天国に旅立っていきました。
自分の身体が切り落とされたような
そんな悲しみを感じました。
父である
太田先生は言います。
自分達が「できるだけの」
精一杯のことをした
だから悔いはない。
やるべきことを
きちんとやることが「優しさ」なんだ
と・・・
「優しい」という言葉は
誰でも好きな言葉だと思います。
全国大会で「優勝」とか
「優秀」なども
この「優」という漢字が
使われます。
しかし、「優」という字は
ニンベンに「憂い」と書き、
「憂い」という字には
「自分の思うようにならないで
苦しい、悩み」などの意味があり、
その「苦しみ、悩み」
悲しんでいる人に
ニンベンの形が現す
「人」が寄り添うということで
「優れた」という字は
出来ているのです。
ああ・・・
今の自分に
このように両親がしてきた
16年間と同じ行動ができるだろうか?
犬の目が見えなくなった時、
足から血が出た時、
トイレができなくなった時、
醜くなった姿で人から笑われた時、
弱いものに
そっと寄り添うことが
できるだろうか・・・
つい「優勝」や「優秀」のように
勝つことや
誰かよりも「優れる」ことを
目指して人は頑張る生き物だけど、
本当の意味で「優れた」人間とは、
このように悩み、苦しんでいるものに
自分もその場で寄り添って
行動する人間のことを
言うのではないのか・・・
「武士道」と簡単に言うけれど
そんな想いを
忘れて生きていないか?
いろんなことを
考えさせられました。
愛犬は天国へ旅立ちましたが
死は全てを
奪い去ってしまうものではありません。
命の儚さと
束の間の温もりに感じる
慈悲の心の尊さを
私達の家族に残してくれました。
「16年間 本当にありがとう」
君のおかげで
どれだけ私達が
幸せをもらえただろうか・・
これからも
私達の家族と
私達の道場の中に
愛犬は永遠に生き続けます。
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我が家のワン公も今年4月3日に18年で永眠しました。ワン公としては文句なしの大往生ですが
家族同様だったので、家内はかなり落ち込んでいました。
平四郎吉政様
ありがとうございます。
家族と同じですね。今でも家に帰ると
部屋のどこかにいるような感覚です。
とてもかわいい犬でした。