細川家の美を訪ねて(肥後古流・白水会)
時の仇波(あだなみ)に洗われて
消え行くものも多い この世の中に
いにしへも今も変わらず
受け継がれる「武士の美学」。
その「美」を求めて・・・
今回は
茶道「肥後古流・白水会」の皆様と
京都・大阪へ行ってまいりました。
まずは「肥後古流・白水会」
小堀宗家のおはからいにより
特別に参加させていただいたことに
心より感謝を申し上げる次第であります。
平成25年9月27日(金)
阿蘇くまもと空港から
朝8:00発の飛行機に乗り、
大阪・伊丹空港へ。
到着後、バスに乗り、高速道路で
まずは「天橋立」へ。
「肥後金工」を研究する私にとっても
今回の旅は特別なものになります。
それは「肥後金工」を生んだ
「大名・細川家の美」を
訪ねるためだけに企画された
特別な旅だからです。
普通はなかなか行けない場所、
見ることのできない芸術を見学し、
地元の方からも貴重なエピソードを
お聞かせいただきました。
今回から数回に分けて
その「特別な旅」の一部を皆様に
ご紹介したいと思います。
この「武士道美術館の常連の皆様」は
よくご存知と思いますが
細川家は古来、文武両道で知られ、
細川幽斎は古今集の奥義を伝える
古今伝授を受けた歌人であり、
細川忠興(三斎)は千利休の高弟として、
利休の精神と茶道具
そして「肥後金工」という
古今の刀剣装具の中でも高い
鑑賞価値を持った芸術を後世に伝えました。
また忠興の妻「ガラシャ」は
容貌の美麗比倫なし
と言われるほどの美女でありながら
関ヶ原合戦を揺さぶるほどの
壮絶な生涯を閉じた女性。
そんな細川家の歴史と美を訪ねる旅が
いよいよ始まります。
途中、「西紀サービスエリア」で休憩。
こちらは丹波篠山の特産品、
松茸や栗、黒大豆が有名です。
休憩を終えて、バスは出発。
天気も快晴! 皆さん
「日頃の行いがいいようですね(笑)」
バスから見る自然の美しさ。
この少し前に京都は台風の影響で
大雨の被害が出ていましたので
心配しましたが、
美しい自然が広がっていました。
バスを走らせますと
大江山が見えてまいりました。
「大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天の橋立」
和泉式部の娘である
小式部内侍(こしきぶのないし)の歌。
丹後へ行く途中に「生野の里」を通ることと
「野を行く」を掛け、
「ふみ」に
「踏み」と「文(ふみ)」を
掛けている表現。
なんと華麗なのでしょうか。
この当時は「源氏物語」にもあるように
恋愛にも芸術的な教養が求められています。
恋人の対話が詩で行われ、
男性が歌で仄めかしたことを
女性のほうで巧妙に受ければ、それが
その「女性の美しさ」以上に
「男の心」を掻き立てる・・
世界的に見ても、当時
このようなハイレベルの
「文学的な芸術」を楽しみながら
日常生活で活用していたのは
日本人だけなのではないでしょうか。
ちなみに
西暦500年から1,500年までに生まれた文学が
全ヨーロッパで生まれた文学作品を
質および量で圧倒している国。
それが日本。
そんな「日本の美意識の高さ」を
あらためて感じました。
さて
大江山。
この周辺には昔から「鬼」の伝説があり、
刀剣関係の皆様は
よくご存知かと思いますが
鬼の首を落としたと言われる
「源頼光の怪刀」
「童子斬り安綱(どうじぎりやすつな)」の
伝説が残る場所であります。
日本刀の始祖とも称される
伯耆(ほうき)の国(島根県)の住人
「安綱」の鍛えた名刀で
源頼光が大江山の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」を
斬ったことから名付けられた刀です。
バスに乗りながら、
私の頭の中で「源氏」から「鬼」まで
妄想がふくらんで
ちょっとした興奮状態でした(笑)。
そして
バスはいよいよ宮津天橋立の出口に到着。
これより
天橋立へと向かいます。
これからどんな「武士の美」と出会えるのか
楽しみです。
それでは
次回もお楽しみに。
童子斬り安綱 写真:e国宝サイト
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