不動智神妙録6
本日も沢庵和尚(たくあんおしょう)が
柳生宗矩(やぎゅうむねのり)のために
「仏法」を通して剣を説き、
さらに剣に生きる姿勢を説くなかで、
人が人として生きるには、どうすべきかを説いた
「不動智神妙録」から学びます。
本日のテーマは「いたずらならぬ、かかし」です。
鎌倉の仏国国師(ぶっこくこくし)の歌に
「心ありてもるとなけれど小山田に
いたづらならぬ かかし なりけり」
というものがあります。
かかしは、自分で田んぼの稲穂を守ろうとか
何も考えているわけではないのですが、
人形のかかしを見て、鳥や獣は恐れて逃げるのです。
人形である「かかし」に心などないのに
ちゃんと用を足しているのだということです。
どのような道を修めるにしても、その極まる所に
到達した人の所作をたとえたものです。
身体の総てを動かしながら、
心はそのどこにもとらわれず、
無念無心、かかしのようになれるのです。
何もわからぬ無智な人間は、
もともと智の働きがないので
表面に表れるものもありません。
また、はるかに深い所まで到達した知恵は、
決して表面に出ることはありません。
ただの物知りは、知っていることを
アピールしようとして表に出すので、
滑稽なことになります。
近頃の出家の様子など、さぞ、
おかしいとお思いになるでしょう。
恥ずかしく存じます。
沢庵和尚
居合道や剣道などの
「剣術」を修行する人だけでなく、
柔道、空手道、ボクシング、野球、サッカーまで
勝負の世界で闘う人達は
この「身体の総てを動かしながら、
心はそのどこにもとらわれず、
無念無心になれるかどうか」が
勝負の分かれ道になると聞きます。
特に私達、居合道の試合は
「型」という掟の中で
自分の想定した敵を「斬る」演武ですので、
「無念無心になる」ことが求められます。
ところが・・・
「審査員を前に緊張して、演武に集中できなかった」とか、
「隣りの審判の声に驚いて、演武を中断してしまった」とか、
「力が入りすぎて、床をたたいた」とか(笑)
あるんですよね。
でも、きっと
あの伝説の剣士と言われた「柳生但馬守」も
私達と同じように悩んでいたからこそ、
沢庵和尚が「剣禅一如」を説こうと考えたと思います。
数百年前に書かれたものなのに
現代人にもわかりやすく、勉強になりますね。
おそらく人間の本質は、今も昔も
そんなに変わらないものかもしれません。
だからこそ
みんな、一生懸命に修行するのではないでしょうか?
本日も
不動智神妙録から学びました。
今後も多くのことを学び、人生に役立てましょう。
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参考:不動智神妙録 沢庵宗彭
沢庵 沢庵 不動智神妙録 池田論訳
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