不動智神妙録3(千手観音の不動智)

 

 

本日も沢庵和尚(たくあんおしょう)が

柳生宗矩(やぎゅうむねのり)に書いた

不動知神妙録から学びます。

本日は千手観音の不動智についてです。

 

 

 

 

千手観音(せんじゅかんのん)も手が千本

おありになりますが、

弓を持ってる一つの手にとらわれると

残りの999の手は役に立ちません。

 

一つの所に心を止めないから

千本の手が皆、訳に立つ。

 

この姿は

不動智を身につけることができれば

千本の手も立派に使いこなすことが

できることを人々に示すために

作られているのです。

 

例えば、一本の木の中に「赤い葉」があり、

その「赤い葉」だけ見れば、残りの葉は目に入りません。

 

 

葉の一枚一枚に目を止めず、

木の全体を見るなら、たくさんの葉が全部、目に入ります。

 

このことを悟った人は千手観音と同じなのに

普通の人は、一つの身体に千本の手、千の眼を持ってるから

有難いとばかり思っています。

 

そして生半可の人は、一つの身体に千の手なんて嘘だ

と考えて仏法をそしるのです。

 

もっとよく知れば、わけもわからず信じたり、

反対にそしったりするのではなく、

道理を理解し尊び、信じることになります。

 

仏法は一つの物によって、理を表しているのです。

 

何でも表面の一皮だけを見るのが

普通の人ですが、浅い知識でこれを馬鹿にし、

非難するのはなお悪いこと。

 

何事にも、その中には道理が含まれています。

あの道、この道と、

道はさまざまですが、極まる所は同じということです。

 

 

参考:不動智神妙録 沢庵宗彭

沢庵 沢庵 不動智神妙録 池田論訳

Wikipedia

絹本著色千手観音像

東京国立博物館蔵 国宝 平安時代後期

 

 

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