座右の銘(武士の言葉その15)
命もいらず、名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、
始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、
艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。
西郷隆盛
西郷が「山岡鉄舟」のことを評した言葉と言われています。
地位も低く、
名誉も金も持たないが
「剣と書」にかけては
稀に見る達人「山岡鉄舟」。
一般的に「勝海舟と西郷隆盛」だけが
「江戸城無血開城」を導いたと知られていますが、
山岡が
たった一人で大勢の敵のいる駿府城に乗り込み
西郷と面会しなかったら、
無血開城はありませんでした。
西郷に面会に行く時、
山岡は敵の本陣に堂々と
「朝敵、徳川慶喜の家来、山岡鉄太郎、大総督府へ罷り通る」
と大声で名乗ったと言います。
のちに
国からの勲章も拒否。
勲章を持参した井上馨に、
「お前さんが勲一等で、おれに勲三等を持って来るのは
少し間違ってないか。
維新のしめくくりは、西郷と俺の2人で当たった。
俺から見れば、お前さんなんか
ふんどしかつぎじゃねえか」と啖呵を切ったとのこと。
一生、貧乏暮らし、
権力に媚びることなく、
深酒をして相撲をとろうとかかってきた明治天皇を
やり過ごして諫言したかと思えば、
皇居仮宮殿が炎上した際、
自宅からいち早く駆けつけたエピソードが知られています。
山岡の最後は
皇居に向かって
結跏趺坐(けっかふざ)という
仏教の座法のまま絶命。
西郷隆盛が言う
始末に困る人ならではの最後でした。
日本は、こんな「サムライ」のDNAが流れている国。
「美しさ」とか「ヒーロー」とか
あらためて
何が大切なのか?を考えさせられる言葉。
最後に
その始末に困る男「山岡鉄舟」の
「鉄舟二十則」をご紹介します。
1. 嘘を言うべからず候
2. 君のご恩は忘るべからず候
3. 父母のご恩は忘るべからず候
4. 師のご恩は忘るべからず候
5. 人のご恩は忘るべからず候
6. 神仏ならびに長者を粗末にすべからず候
7. 幼者をあなどるべからず候
8. 己に心よからざることは他人に求むべからず
9. 腹を立つるは道にあらず候
10. 何事も不幸を喜ぶべからず候
11. 力の及ぶ限りは善き方につくすべく候
12. 他をかえりみずして自分のよきことばかりすべからず候
13. 食するたびに稼穡
(かしょく=種まきと収穫、農業のこと)の艱難を思うべし
すべて草木土石にても粗末にすべからず候
14. ことさらに着物を飾り、あるいはうわべをつくろう者は、
心に濁りあるものと心得べく候
15. 礼儀を乱るべからず候
16. 何時何人に接するも客人に接するように心得うべく候
17. 己の知らざることは何人にても習うべく候
18. 名利のために学問技芸すべからず候
19. 人にはすべて能、不能あり。
いちがいに人をすて、あるいは笑うべからず候
20. 己の善行を誇り顔に人に知らしむべからず。
すべて我が心に恥ざるに務むべく候
西郷と山岡から「武士道」を学びます。
原典:福井市立郷土歴史博物館所蔵品。山岡鉄舟
『幕末・明治・大正 回顧八十年史』(1933年出版)西郷隆盛より
wikipedia参照、「鉄舟二十則」より
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