「間合い」で学ぶこと

居合道を修行していくと

「間」と「間合い」という

大きな壁にぶちあたる。

 

仮想の敵との「間合い」をイメージして

演武するところが

居合道の奥深いところである。

 

難しいのは

ある程度の練習で

型を憶えることはできるが

絶妙な「間合い」で

演武することができないところだ。

 

「間」とは時間的な感覚の「間」。

「間合い」とは敵との適度な間隔。

この間をつかめないと

間抜け(まぬけ)になり敵に斬られてしまう。

 

だからこそ

「間に合わせる」ということが重要になる。

これは普段の生活でも、よく使う言葉。

 

「間に合う」「間抜け」は

武士の時代から使われている言葉だろう。

 

もっと言えば
人の間と書いて「人間」

 

私達、人には「間」が必要ということだ。

 

これは親子、夫婦、

友人にも言えることだし、
「間合い」が近すぎれば誰でも窮屈だ。

私達は、親子であっても

自立した一人の人間の集団だと思う。

 

恋愛もまた「間合い」が重要になってくる。

好きだからと

一方的に押しすぎれば相手がひくし、

全く無関心では何も始まらない。

 

また、「絆」とは「糸」「半分」と書くが

お互い「間合い」を持って

糸の端と端を握ってひっぱった時に

強すぎれば切れる、ゆるめすぎれば糸がたれる

そんな絶妙な「間合い」で糸をはっているから

「絆」という字が成り立っているのではないか?

 

私の母は父と滅多に喧嘩しないが、

喧嘩した時には、

かならず「間」を作り仲直りしている。

 

この場合の「間」は「スペース」の意味で

相手を攻めすぎず、

「逃げ場」を作ってやるという「間」である。

 

この「間」のおかげで

父も救われたことが多いのではないだろうか(笑)

その繰り返しで「絆」を作っているのかもしれない。

 

それを、逃げ場という「間」を与えず、

攻め続けるから爆発して大喧嘩になる。

みんな自分が大切だけど、

少しは相手を逃がすぐらいの余裕がないと
人間関係が崩れてしまうことも

あるんじゃないのか?とも思う。

 

この「間合い」の究極は何だろう?

と考えていたら

ちょっと大きな話になってきて

 

それは「地球」なのではないかと思った。

太陽が昇って月が出る「間合い」や

四季の「間合い」があるから

地球は美しい星なのだと思う。

 

ある意味、地球上で人間だけが時々、

「間抜け」な存在になっていて

核爆弾を落としたり、大気汚染したり

地球に住む他の生物の「間合い」を

勝手に食い荒らしているように思える。

 

人間がもっと「間合い」を考えれば、

エコロジーになり地球にも優しく、

ひょっとしたら

戦争なんかもなくなるのではないだろうか?

 

こんなことを世界中で

色んな人が考えてくれたなら

きっと「間違いない」地球になるのだろう。

 

居合道(武士道)は

本当に色んなことを教えてくれる。

 

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