不滅の法燈


 

いつもお世話になっております 私の師匠、

博多居合研究会の塩川先生が

ブログを始められました。

 

長年、池田宗家の道場に通っていらっしゃる塩川先生。

 

「続ける」「挑戦する」

その情熱にいつも刺激を受けます。

 

実際に「行動する」と言うことが、

どれだけ大変か、

 

私も日々の「仕事」や「居合道」を通じて痛感しています。

 

それゆえに

仕事をしながら

60歳を過ぎて、九州から大阪まで、毎月通う

先生の「情熱」に刺激を受けるのです。

 

 

人生という限られた時間の大半を

私達は「居合道」に打ち込みます。

 

その時間をトータルすると、

道場の仲間達とは

ちょっとした親戚よりも長い時間、

一緒に過ごしているのですね。

 

だんだん家族のようになってきます。

 

この家族のような繋がりが、足利末期から

師匠から弟子に、そして

次の弟子に・・・と

約450年受け継がれて今、ここに「居合道」があります。

 

なんと有難いことか。

 

もちろん、450年前の流祖・林崎公は、この世にいませんが、

私達の技の中に生き続けています。

 

 

先日、武者小路千家の「千宗屋さん」の講演会で

宗屋さんがおっしゃっていました。

 

「伝統」とは近年になって使われている字ですが、

もともとは、仏教の「伝燈」から来たそうです。

 

その「伝燈」を比叡山延暦寺に1200年、

消えずに守り継がれてきた「不滅の法燈」で解説されました。

 

 

燈とは、お燈明のことで、お釈迦様が亡くなられる時弟子たちに、

・自分の心を拠り所、燈火とし、
・私が説いた教えを、燈明としなさい
と伝えられたところに始まるそうです。

 

暗闇を照らす光、火、すなわち燈火。

そのうち「伝燈」とは、「教えが伝えられる」ことを意味しています。

 

そして、教えが未来にも燈火のように闇を照らして

人を導くものとなるように願いを込めた火が、

 

1200年消える事なく比叡山で、

今日も燈り続けているの「不滅の法燈」なのです。

 

 

でも、この火を守り伝えるには、

 

常に「新しい油」を「注ぎ続け」なければなりません。

今ある燈火を守っているだけでは、やがて消えてしまう。

 

もちろん、たくさんの意味が含まれていますが

 

私は、そのお話を聞いて、

塩川先生が「新しい自分に挑戦している」姿を見て

私は刺激され、

私の心に「新しい油を注ぎ続け燈火している」と思ったのです。

 

師匠達が

居合道の炎に「新しい油を注ぎ続けている」から

450年前の「居合道」が今ここにある。

 

塩川先生の「挑戦し続ける」姿を見た時に

あらためて自分は

「一人で居合道をしてきたのではない先生のおかげだな」と

心から感謝しました。

 

これは私だけではないと思いますが、

もしも、

「油を注ぐ事」を断ってしまったら、
火は消えてしまいます。

 

常に「新しい油」を注ぐことが重要なのです。

 

この「油を断つ」という言葉から

 

 

「油断する」

 

という意味が生まれたそうです。

 

 

最初の志を継ぎ守っていくことは、

常に新しい油を注ぎ足すことが必要なのですね。

 

平成の世に私が「居合道」できるのは

「新しい自分に挑戦し続ける」塩川先生や

九州・全国の先生達、歴代の御宗家のおかげ。

 

大会の前に、あたりまえのことに気付きました。

本当にありがとうございます。

 

今年も来年も

最大の敵は「自分自身」です。

 

博多居合研究会サイト

塩川先生BLOG

 

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