不動知神妙録(沢庵和尚に学ぶ)
大阪に行くと必ず訪れる「南宗寺」。
千利休の修行した寺として有名です。
ここには
もう一人、私が会いにいく歴史上の人物がいます。
それが、この人。
日本で初めて
禅で武道の極意を説いた男。
沢庵宗彭(たくあん しゅうほう)です。
沢庵は、安土桃山時代から江戸前期に生きた臨済宗の僧。
実はダイコンの沢庵漬けは、
この人が考案したとも言われています。
沢庵が柳生宗矩(やぎゅうむねのり)に与えた
「不動知神妙録」こそ、日本で初めて
「剣禅一味」を説き、禅で武道の極意を説いた書物。
今回は、その「不動知神妙録」から学びます。
もし、あなたに誰かが
いきなり刀で切りつけてきたら
どうしますか?
その刀を見て
「こう受けたらいいのか?それとも・・・」と
考えている間に殺されてしまいます。
相手の刀にとらわれてしまえば
自由に動くことができません。
沢庵はこう書いています。
「相手が斬ってくる刀を見ても
動きに少しもとらわれることなく
ただ相手の刀に応じていけば、切りかかってきた刀を
もぎとって、かえって相手を切ることができる。」
「心がとらわれると切られる」
そして
「とらわれる心が迷い」
自分の刀の動きを気にすれば、
自分の刀に気をとられ、
相手の動きばかりに気をとられれば
相手にとらわれる。
誰にでも、これに近い経験があるのではないでしょうか?
良く見られようとか・・・
技を間違えないように・・・とか
優勝しよう・・・とか
何かにとらわれた瞬間に集中できず、
動きが硬くなったり、スピードが速くなったりして
演武が普段のようにできません。
仏法では
このことを「迷い」といい、
「無明住地煩悩(むみょうじゅうちぼんのう)」と言います。
「不動知神妙録」が面白いのは
沢庵が「宮本武蔵」のような剣豪ではなく
禅宗の「お坊さん」であるところ。
お坊さんである沢庵が
仏法を通して
剣を説き、剣に生きる姿勢を説きながら
人間が生きるにはどうあるべきか?
を教えるところが
日本の「武士道」や「禅」の深いテーマだと思います。
本当に「武士道」って面白いですね。
400年前の人も私達と同じように悩みながら生きていた。
歴史から学ぶことがたくさんあります。
今後も一緒に「不動知神妙録」を学びましょう。
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