もののふの美と心

 

 

石見国の・・・

 

半国

 

十八万石を与える

だから

 

ワシの

直臣大名にならないか?

 

と・・・

 

あの豊臣秀吉に誘われた時、

 

「いいえ、

 

私は・・・

 

細川家への御恩を忘れことは

できません、

また、

主君・幽斎・忠興公と同列の

大名になるのは畏れ多いのです」

と言って

 

秀吉の誘いを

きっぱりと断った男。

 

それが

松井康之公です。

 

そして、その意志を受け継ぎ、

 

もののふの「美と心」

まさに、その二つを

持ち続けた武家

それが「松井家」。

 

 

本日は、その松井家に伝わる

刀剣と刀装具の魅力を求めて

熊本県・八代市を訪ねております。

 

平成26年10月25日(土)

 

八代市立博物館

未来の森ミュージアムにて

 

「もののふの美と心」

八代城主・松井家の刀剣と刀装具

が開催されました。

 

 

また本日は、

京都国立博物館・名誉館員

「稲田和彦先生」による

 

「刀剣講和松井家伝来刀の魅力」

と題した特別講演会が開催。

 

 

康之公は、

私も大好きな武将です。

 

天下人

秀吉、家康から認められ、

利休からも

絶大な信頼を得ていた渋い武将。

 

なかでも家康は

康之公が病に倒れた時、

その病床に数々の薬品を

届けさせたと言われています。

 

また、茶道史上にあまり

取り上げられることのない

康之公ですが、

 

利休からも

絶大なる信頼を受けており、

二人の間には

深い絆もありました。

 

ちなみに以前もお話しましたが

天正13年の時

細川忠興が 23歳、

松井康之が 36歳

古田織部が 41歳

豊臣秀吉 48歳

千利休が 64歳

という年齢になります。

 

若い忠興公のサポートを

年上の康之公がしていたのでしょう。

 

また、秀吉の甥

秀次が文禄4年に

切腹に追い込まれた時、

 

忠興公は、この件に連座していたと

石田三成によって訴えられます。

 

これは、

忠興公が秀次から

黄金三百枚をもらったという

内容からでしたが、

それは拝領したのではなく、

 

借りたものであることを伝え

危機一髪で助かります。

 

この危機を救ったのも

康之公だったと言われています。

 

 

さて、今回の展覧会は

展示してある刀装具が

ほとんど「肥後拵」という贅沢さ。

 

利休と忠興の

美の結晶が

そこにはありました。

 

目の前には

 

三条宗近、

備前「正恒」、

大和鍛冶の特色を示す

千手院「行光」、

相模国「行光」、

備州長船「景光」などの名刀が

「肥後拵」で

コディネートされています。

 

 

残念ながら

館内は撮影できませんが

素晴らしい企画です。

 

鮫皮で包み黒漆を塗り、

それを研ぎ出した

「梅花皮(かいらぎ)」と言われる

鞘(さや)、茶道の渋さを

刀装具で感じれる素晴らしい作品。

 

この他、肥後金工の聖地

「八代」ならではの鍔、

宮本武蔵の直筆の書など

どれも貴重なものばかり。

 

熊本に宮本武蔵が来たのは

松井家と大きく関係がありましたね。

 

 

そして、

会場では、

いつもお世話になっている

方々にもお会いしました。

 

刀鍛冶の木村さんをはじめ、

11月15日に

実演講座を予定されている

刀剣研磨師の正海さん。

 

正海さんは今回の

研ぎや展示のプロデュースもされ、

会場で解説していただきました。

 

景光の鍛えた肌の美しさや

映りの美しさを拝見しながら、

さらに日本刀の素晴らしさに

引き込まれました。

 

 

さて、

いよいよ稲田先生の講演会が

始ります。

 

まだ30分前にもかかわらず

席が少しずつ埋まってきました。

 

写真では空席がありますが

開演時には満席となり

会場は熱気に包まれていました。

 

 

すると・・・

 

目の前に

どこかで見たことのある

 

男性が・・

 

 

おじさん・・

 

 

会場で親戚を発見!

 

日本刀に詳しい

私の叔父に会い、意気投合!

 

 

私の父

太田館長の

一番上の兄になります

叔父さんもまた、

日本刀や歴史に詳しく、

 

いつも学ばせていただいております。

 

これで席は決まり、

叔父さんの隣りに座りまして

稲田先生の講演を聞きます。

 

 

13時30分になりましたので

刀剣講話が始ります。

 

まずは、松井家のご当主からの

ご挨拶。そして講演が開始されます。

 

内容は初心者の方にも

解りやすいように

 

時代区分や刀の種類、

直刀から彎刀へ以降する流れ、

 

平安、鎌倉、室町それぞれの

時代ごとの歴史も解説。

 

 

先生のお話では、

 

文化庁が定める

国宝の数は絵画全体で158件、

彫刻全体で126件なのに対し、

 

工芸の一部でしかない

日本刀関係だけで

122件もあるとのこと。

 

それは、

日本刀が、この国の

芸術の最高峰に存在するから。

 

また、

江戸時代の各大名家で

宝物と言えば、先ず刀剣であったこと、

 

次いで茶壺や茶碗の名茶器、

墨蹟の順にあげらました。

 

 

ちなみに

江戸時代の大名家が

将軍家に日本刀を

献上する時の基準って

ご存知ですか?

 

 

それは、

 

もちろん普通の刀ではなく

 

まず、

鎌倉時代の太刀であること。

 

さらに

生ぶ茎で

在銘であることなど

条件が整っていないと

献上できなかったそうです。

 

江戸時代には2千両、3千両で

売買された記録もあるほどらしく、

そう考えると

大名も大変だったのですね。

 

 

こちらの写真は

全国刀工の分布について。

 

日本刀は全国で作られ

時代ごとに刀工も移り住んでいます。

 

肥後金工師も

丹後のほうから

細川家とともに

この八代に移ってきましたね。

 

 

歌仙拵を含め

肥後拵が

日本で最高の拵と言われるのは

利休と忠興公の

美学があるからだけでなく、

正阿弥や、京都の文化を持った

金工師達が、八代に移り住んだから。

 

講演会でも

歌仙拵や肥後拵の美学を

解説されていました。

 

 

スライドを拝見しながら、

楽しい講演会は

あっと言う間に終了。

 

貴重なお話を聞けて

とても勉強になりました。

 

講演の最後には

日本刀の

受難の歴史を振り返りました。

 

本日、展示されていた

日本刀が

 

●秀吉の刀狩り

●関東大震災

●戦後

という3つの受難を

乗り越えることができたのは、

 

「もののふの美と心」をずっと

持ち続けた松井家の

努力があったからこそと

先生は講演されました。

 

本当に

ありがたいですね。

 

 

そして

博物館も閉館の時間になり、

夕方になりました。

 

帰りに

叔父さんと

歴史の話で盛り上がり、

駅まで送っていただき、

新幹線で帰ります。

 

本日は

大変勉強になりました。

関係者の皆様に

心より感謝いたします。

 

この展覧会は

平成26年11月30日(日)まで

開催されています。

ぜひ、肥後金工の聖地

八代で名刀と肥後拵を

ご覧ください。

 

11月15日(土)13時30分からは

「刀剣研磨師のしごと」と題して

正海郁雄氏の実演講座を開催。

 

11月29日(土)13時30分からは

特別講演会「戦国時代の松井家」

が開催されます。

 

詳しくは八代博物館公式サイトへ

 

 

 

 

資料:細川三斎茶の湯の世界 矢部誠一郎著

 

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