徳川家康
戦国武将を学ぶ
徳川家康
Ieyasu Tokugawa
264年の江戸幕府を開き、太平の世を築いた天下人。
タヌキ親父の異名をとるが、実は戦国一の戦上手。
徳川家康とは

徳川幕府初代将軍江戸幕府初代将軍(1603-1605)。
岡崎城主松平広忠の長男として生まれる。
幼名は竹千代、のちに元信・元康、院号を安国院となる。
6才の時、織田・今川の人質となるが桶狭間の戦で岡崎へもどり、信長と結んで勢力を拡大、信長歿後は豊臣秀吉と対立するが和睦し、秀吉の天下統一に協力する。
秀吉の死後、関ヶ原の戦で石田三成を破り対抗勢力の一掃に成功、征夷大将軍となる。
大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、名実共に天下を統一して幕府の基礎を固めた。元和2年(1616)享年75才。

徳川家康
資料:徳川家康像(大阪城天守閣蔵)
徳川家康・年表まとめ
天文11年(1542年)   三河国の土豪である松平氏の第8代当主・松平広忠の嫡男として、岡崎城 で生まれる。
     
天文13年(1544年)   2歳の時、母と生き別れとなり松平家の力が弱かったために6歳の時、今川義元の人質となるため城を出たが尾張(愛知県)の織田信秀に連れ去らわれ織田家の人質となる。
     
永禄3年(1560年)   5月に今川義元は桶狭間の戦いで織田信長の奇襲にあい、討死にしたため家康は人質生活を終えて三河の岡崎城に帰る。
     
永禄4年(1561年)   織田信長と同盟を結ぶ。
     
永禄9年(1566年)   朝廷から天皇の許可を得て松平姓から徳川氏を名乗る。従5位下三河守に叙任。
     
元亀3年(1572年)   二俣城の戦い。三方が原で武田信玄と戦って大敗する。
     
天正元年(1573年)   武田信玄 死亡。
足利義昭も没落し、室町幕府が滅ぶ。朝倉義景・浅井長政も信長に滅ぼされる。
     
天正10年(1582年)   本能寺の変。信長が明智光秀に殺害。家康泉州堺より急遽帰る。
羽柴秀吉が山崎の戦いにて光秀を破る、13日光秀死亡。
     
慶長5年(1600年)   関が原の戦いで大勝利。大阪城にて諸大名の整理。結城秀康を越前67万石に封ぜる。
     
慶長17年(1612年)   幕府でキリスト教を禁止にする。
     
慶長19年(1614年)   大阪冬の陣。
     
元和元年(1615年)   大阪夏の陣。
     
元和2年(1616年)   鷹狩の途中藤枝田中城にて食中毒をおこし死亡享年75歳。
久能山に葬られる。東照大権現の神号を贈られる。
     
徳川家康と文化遺産・歴史ガイド
徳川家康wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/徳川家康

江戸東京博物館
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

ハローナビしずおか 静岡県観光情報
http://hellonavi.jp/

日光東照宮ホームページ
http://www.toshogu.jp/

徳川美術館
http://www.tokugawa-art-museum.jp/

熊本城公式ホームページ
  
徳川家康・youtube 動画一覧
徳川家康・ヒューマンエピソード
あの織田信長に頭を下げさせていた
織田信長は人一倍自尊心が強く、人に頭を下げるなどもってのほか。だが、家康には頭を下げていた。というのも、彼は越前の朝倉氏を攻めたが、信長包囲網をひかれ、急ぎ撤退する羽目となる。そこで、羽柴秀吉と家康の部隊を、殿軍として置き去りにする格好で京都に帰還、秀吉・家康を敵の中に孤立。秀吉部隊は敵に取り囲まれ、壊滅寸前となるがそこへ家康が救出に入り秀吉を助け帰還。さすがの信長も、これを聞くや「家康殿がいなかったら、秀吉の命はなかっただろう」と深々と頭を下げたそうだ。


江戸幕府を開く
徳川家康が征夷大将軍に任命された後、江戸に幕府を開いた。2代将軍秀忠・3代将軍家光の時代に幕府の仕組みが完成。
まず、将軍の下に老中を置き政務を統括し、それを若年寄たちが補佐。そして、寺社・町・勘定の三奉行を設け、地方には京都所司代・大坂城代・郡代・各種代官を配置し、それによって天領を統括。これらの役職は基本的には譜代大名や旗本等から任命。


人一倍健康に気を遣う
家康は、自ら薬を調合し、結果的にその薬にあたり死んだと言われるほどの薬マニアで健康オタクだった。鷹狩りは健康のために欠かさず、そして食生活には人一倍気をつかっていた。季節はずれのものは食べず、必ず旬のものだけを食べた。旬のものには多くの栄養が含まれているからである。


朝鮮との国交回復
秀吉の死後、徳川家康による武家政権(徳川幕府)が成立。秀吉の朝鮮侵攻に消極的で朝鮮半島に派兵していなかった徳川家康は、朝鮮との国交回復を望み、宗氏を介して使節を派遣。こうして徳川家康と朝鮮王朝の間で国交回復の交渉が進められ、光海君は捕虜の送還や貿易交渉に応じ、1609年には己酉約条が結ばれて貿易が再開され、日本の銀と中国の生糸や絹などが流通するようになった。

徳川家康の家紋
徳川家康の家紋
徳川葵


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旅ガイド(戦国武将・徳川家康を巡る旅をしたい方へ)
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静岡エリア
静岡市ホテル旅館協同組合
http://www.shr.or.jp/

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愛知エリア
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交通ガイド(飛行機、JRの情報はこちら)


全日空(ANA)
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JR東日本
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日本航空(JAL)
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