黒田官兵衛
黒田 官兵衛を200%楽しむ方法。
慶長6年(1601年)関ヶ原の合戦後、徳川家康から筑前国の所領を与えられた黒田官兵衛(のちの如水)、長政父子は入国すると、福岡城を築造。その間に官兵衛(如水)は太宰府に移り、天満宮のそばで隠棲生活を始める。彼が太宰府を隠棲の地に選んだ理由の一つに「連歌」があった。中世以来、連歌は天神信仰と結びつき、多くの連歌師が太宰府天満宮へ参詣に訪れていた。
連歌への関心を深めていた官兵衛(如水)にとっても太宰府天満宮は憧れの地であり、魅力があったと考えられ、そのためか長年の戦乱によって荒廃していた太宰府天満宮を復興するために尽力した。人生の多くを戦乱に捧げた官兵衛(如水)にとって太宰府での生活は心おきなく風流と文雅に興ずることができた時間だったにちがいない。今でも官兵衛(如水)が愛用した井戸が残されている。
太宰府にある官兵衛(如水)が使ったとされる井戸。
武士道