明智光秀
戦国武将を学ぶ
明智光秀
Mitsuhide Akechi
主である織田信長を討ったが
三日天下で終わった
明智光秀とは

尾張守護代織田大和守家奉行織田信秀の嫡男として、 海東郡勝幡城に誕生する。母土田御前、幼名は吉法師。美濃国の守護土岐氏の一族で、恵那郡の豪族明智氏の出身といわれる。はじめ越前の朝倉義景、のち織田信長に仕える。元亀元年の姉川の戦いや堅田攻め等に従軍。翌2年の比叡山延暦寺焼き打ち後には、信長の命により坂本城を築いた。光秀は、武将としてだけではなく儀礼、故実に通じ、連歌や茶の湯を好む教養人でもあった。天正10年信長が宿泊していた本能寺を襲撃し、信長を自害に追い込んだ(本能寺の変)。しかし、急報を聞いて毛利軍と和議を結んだ秀吉軍に山崎で戦って敗れ、落ち延びる途中に襲撃にあって無念の死を遂げた。

明智光秀
明智光秀像(本徳寺蔵)
明智光秀・年表まとめ
天文3年(1534年)   尾張守護代織田大和守家奉行織田信秀の嫡男として、 海東郡勝幡城に誕生する。母土田御前、幼名吉法師。
     
弘治2年(1556年)   父斎藤道三と争い始めた斎藤義龍に明知城を攻められ、一家は離散、浪人となる。
     
永禄8年(1565年)   永禄の変
松永久秀と三好三人衆が13代将軍義輝を暗殺。
     
永禄11年(1568年)   光秀も朝倉義景を見限り、織田信長に仕える。有職故事に明るいため信長の頼りとするところとなる。
     
元亀1年(1570年)   姉川の戦
浅井氏攻略のための構想を織田信長に提案。戦後はこの功により、京都警備を任せられる。
     
元亀3年(1572年)   近江国志賀郡5万石を与えらる。織田家家臣の中では新参でありながらも、一番の出世頭であった。
琵琶湖岸に坂本城を築城し、居城に。
     
天正1年(1573年)   越前国攻めで功をたてる。
     
天正5年(1577年)   信貴山城の戦に参陣。
     
天正6年(1578年)   丹波国に亀山城を築城し、二つ目の居城に。
     
天正7年(1579年)   丹波国、八上城の波多野秀治・秀尚兄弟を攻め落城させる。丹後国守護で弓削城主の一色義定を攻め降伏させ、丹後国を織田家の支配下に置く。
     
天正10年(1582年)   織田信長の命により、安土城において徳川家康への接待役を務める。
山崎の戦
中国から大返ししてきた豊臣秀吉と、摂津国と山城国の国境山崎で対決し敗戦。敗走途上小栗栖の竹藪で落人狩にあい死没。
     
明智光秀と文化遺産・歴史ガイド
熊本城公式ホームページ
  
明智光秀・youtube 動画一覧
明智光秀・ヒューマンエピソード
内助の功
内助の功というと山内一豊・千代夫妻が有名だが、光秀夫婦にも同様な出来事があった。
光秀が朝倉家に召抱えられて間もない頃の話である。重臣たちの連歌の会を催す当番を命じられ、その会には相応の酒肴が必要であった。しかし朝倉家に召抱えられて間もない話であったので、金銭がなく金策に走っても手に入らなくて非常に困った。そのとき煕子は女の命とも言える自慢の黒髪をばっさり切って金銭を手にいれ、連歌の会相応の酒肴を用意した。これを知った光秀は煕子の思慮のなさを叱り付けたが、非常に感謝した。


一途だった
婚約成立後、花嫁修業をしている際に煕子が疱瘡を患い、顔に痣が残ってしまった。これを恥じた煕子の父は、光秀に内緒で煕子の妹を差し出すが、これを見抜いた光秀は「自分は他の誰でもない煕子殿を妻にと決めている」と言い、何事もなかったかのように煕子との祝言を挙げた(しかしこの逸話は、立花宗茂母となる宋雲院が高橋紹運に嫁ぐ際の話に酷似しており後世の創作とされるが、光秀と親しかった京都吉田神社の神官吉田兼見の日記(『兼見卿記』)には光秀が重病のとき、煕子が兼見の屋敷を訪れ、光秀快癒のための祈祷を依頼したり、反対に煕子が床に付いたとき、光秀が病気平癒を兼見に頼んだことが書かれているため、光秀と煕子が仲が睦まじかったのは史実とされる)。


水害から民百姓を救った
光秀が丹波国を治め始めた頃、福知山は水害でひどく悩まされていた。しかし、光秀は丹波国を豊かにするには福知山を水害のない地にしなければいけないと考え、丹波国治世の第一歩として福知山の水害対策を行った。そのため、享保年間(1716年~1736年)頃、福知山の町民が連署を集め、時の領主に光秀顕彰の請願をした。その内容は次のようなものであった。「福知山が水害から救われ、このように豊かな城下町になったのは、すべて、光秀公のお陰である。よって、御霊を祀り、感謝の祭を行いたい」というものであった。
これによって、城下の榎の森に御霊神社ができ、光秀御霊は宇気母智神(うけもちのかみ)と合祀されることになる。このときに始まった三丹(丹波、丹後、但馬)一の秋祭りと言われる「御霊祭」は現在も続いている。


明智光秀の家紋
明智光秀の家紋
桔梗紋


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