肥後古流(秋季大会2015)

 

 

 

平成27年(2015年)11月15日(日)

 

熊本市の「立田自然公園」にて

「茶道肥後古流秋季大会」が開催。

 

 

先ず

肥後古流・白水会 小堀宗家

また、白水会の皆様に

深甚の謝辞を奉りますとともに

 

肥後古流、細川家の皆様に

心より御礼を

申し上げる次第でございます。

 

 

 

肥後古流(ひごこりゅう)は、

 

肥後・熊本藩に伝承された

茶道の流派です。

 

利休七哲に数えられる

細川三斎(忠興)公は

 

元和6年(1620)に隠居され

中津城に移り、翌年元和7年に

家督を忠利公に譲られました。

 

忠利公も三斎公同様、

利休居士の茶風を好み、

 

寛永2年(1625)に

「古き茶を能くする者」として、

古市宗庵を茶頭として召し抱えました。

 

古市宗庵の茶の師匠は

円乗坊宗円で、

彼は本能寺の出家した僧侶でしたが、

 

茶の腕が弟子の中でも

抜群であったため、

 

利休居士は

わざわざ還俗させて

極真台子などの奥義を伝授すると共に、

自分の娘と結婚させました。

 

また、円乗坊は

宗庵の茶人としての資質を高く評価し、

利休と同様に奥義一切を伝授、

 

自分の娘の婿としました。

 

従って、宗庵は利休居士の孫娘婿であり、

利休茶の湯の正当な後継者ということが

できます。

 

 

細川家に召し抱えられた宗庵は、

利休の茶風に忠実な「肥後古流」を

起こすとともに、

 

高弟の萱野隠斎、小堀長斎に奥義を相伝し、

古市、萱野、小堀の三家が

細川藩の茶頭を

つとめることになりました。

 

 

 

 

こちらは武田家

「的々社」様の野点席です。

 

古市家は

十世 宗安に跡継ぎがなかったため、

 

高弟の武田家が引き継ぎ、

肥後古流「的々社」として

活動されております。

 

古市宗庵が後年上洛したとき、

千宗旦と茶会を催し、

そこで千利休直伝の茶法および

極真台子盆点法を伝授しました。

 

そのとき、宗旦からお礼に

「沸法的々」の書を贈られたことが

「的々社」の由来と言われます。

 

 

 

さて、場所を移して

こちらも「的々社」様の野点席。

 

この日は前日の雨が嘘のように

晴天に恵まれました。

 

昨夜の雨で土が湿っておりますが、

太陽の光で緑が輝き

とても美しい景色です。

 

立田自然公園の

神聖な空気を味わいながら

「的々社」様の野点会場へ向います。

 

 

 

皆様の

美しい立ち振る舞いを拝見して

「居合道」の所作に通じる

多くのものを発見。

 

あらためて勉強になりました。

 

 

さて、

 

続いては

「萱野家」についてです。

 

萱野家は

もともと

古田織部公にゆかりの家だったのですが、

大阪の陣で織部が改易されたため、

萱野性を名乗っておられました。

 

明治になって「古田」性に

復されましたが、現在は宗家としての

活動は中止されており、

 

門弟の皆様が「松風会」を

組織されています。

 

 

利休居士が

秀吉から蟄居を命じられ

堺に戻るとき、

 

「古田織部」公と

「細川三斎」公の二人だけが

 

淀の船着き場で

見送った話しは有名です。

 

その二人の茶道が

この肥後・熊本にて

受け継がれていたことは

 

あまり知られておりません。

 

考えれば、この熊本で

利休、織部、三斎の文化に

触れることができるのですね。

 

そして

時代の変化の中で

誰かが、誰かに

伝統を受け継いでくれた

という先人達を想うとともに

 

あらためて「松風会」の皆様の活動に

感謝いたします。

 

 

 

 

 

続いては

肥後古流「白水会」様です。

 

こちらの会場は

茶室「仰松軒(こうしょうけん)」です。

 

 

 

仰松軒は

かつて京都天龍寺・真乗院に

三斎公の好みで造られた茶室を

 

大正十二年に三斎公の

原図により復元したものです。

 

茶室はいわゆる風流半端造りで、

腰なし障子、なぐり波形の床柱、

 

 

 

萱のつかみ編みの天井、

 

窓は八窓、軒下の刀掛け、塵穴など

見事なもので、

 

屋根の仰松の額は

十六代「細川護立」公の筆。

 

居合道の皆様は、

日本刀の鑑定書に「細川護立」公の

文字が書いてあるのをご存知ですよね。

日本刀剣保存協会の会長でも有名です。

 

 

かたわらの

石灯籠と手水鉢は

三斎公が京都で愛用のもの。

 

あらためて古典に学ぶことの

大切さを感じます。

 

 

 

 

茶室研究の第一人者

中村昌生先生の書によると

 

三斎公は利休の草庵風の手法を

忠実に継承しながら、

それらの組み合わせや間取りを工夫し、

 

武家の感覚に合った

茶室を作り、

そこには有楽や織部、遠州と区別しうる

作風が見られるとのこと。

 

私達が居合道で愛用しております

「肥後拵」や「歌仙兼定」も

三斎公のデザインによるものですが

有楽や織部、遠州とは違う感性があり、

 

書で読むだけでなく、

このように実際に茶会に参加させて頂き、

三斎公のDNAを持った空間を

体感することによって

その「渋さ」を感じます。

 

 

 

 

 

ちなみに

こちらの「仰松軒」は、

普段は中に入ることができません。

 

 

貴重な体験をさせて頂けることに

感謝いたします。

 

 

 

こちらは「鎖の間」

肥後古流「白水会」の皆様のお席です。

 

 

茶の湯には

わたしたちの五感を活性化し、

人と人との「間」を感じる大切さを

教えてくれます。

 

居合道にも「間合い」が重要とされますが

五感で「間」を感じる感性こそ

もともと日本人が持っていた能力。

 

この

茶道の体験こそ、現代の人達に

必要だと実感しました。

 

 

さて、

 

続いては

 

「仰松軒」です。

 

肥後古流「白水会」様は

 

細川家八代重賢公に

小堀家が拝領した

扁額「白水」にちなみ、

 

「肥後古流白水会」として

肥後古流の普及に勤められております。

 

 

一服のお茶を

心を込めて点て、

客にすすめ、客もその心をいただく

 

肥後古流の皆様の

ひとつひとつの所作に

感動しました。

 

本日は貴重な体験をさせていただき

誠にありがとうございました。

 

あらためて

肥後古流の文化に触れ

この素晴らしい伝統を

多くの皆様に知っていただきたいと

思いました。

 

関係者の皆様に

心より感謝いたします。

 

 

 

 

 

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