天橋立(細川三斎・初めての茶会)

 

応永27年(1420年)に生まれた「雪舟」。

 

彼が描いた「国宝」

「天橋立図(あまのはしだてず)」。

京都国立博物館所蔵

 

右上には古代から知られた

観音霊場の成相寺、

 

その下に丹後の国府のあった

府中の町並みと寺社、

 

中心に橋立、

その左には「文殊の知恵」で有名な

智恩寺が描かれています。

 

この舞台となった「天橋立」に

やってまいりました。

 

 

前回に引き続き、

 

茶道「肥後古流・白水会」の皆様の

「細川家の美」を巡る旅に

参加させて頂いております。

 

私達は、伊丹空港からバスに乗り、

途中休憩をしながら、

「天橋立」へと到着。

 

 

駐車場に着いた瞬間に

 

「なつかしい〜修学旅行以来だな〜」

という声もあり、

いよいよ旅が始った感じです。

 

ちなみに私は初めて。

 

基本的に修学旅行では

この駐車場にバスを停めて

歩くことが多いようですね。

 

この場所を「雪舟」の絵で言うと

ここらへんでしょうか?

 

 

ちょっと

雪舟の世界に入って

「天橋立」を散策することに致します。

 

拡大すると

高い塔のようなものが見えますね。

 

 

 

 

それが

 

この場所。

 

 

 

こちらは

智恩寺多宝塔

(重要文化財・室町時代)

明応10年(1501年)こけら葦・高さ18.1m

 

 

実はこの多宝塔、

丹後地方で唯一

室町時代からある遺構。

 

雪舟もこの場所を訪れたのでしょうか?

 

 

塔の横に見える建物。

見えているのが「智恩寺」。

 

三人よれば「文殊の知恵」

で有名なあのお寺です。

 

それがこちら。

 

 

「もっと頭が良くなりたい!」と

多くの皆さんがお参りをされています。

 

さらに、ここから

ちょっと歩くと「智恵の輪」なるものが・・

 

 

この観光船のりばのそばにある

 

「智恵の輪灯篭」は三回くぐると

頭が良くなると言われています。

 

昔は船の安全のための航海灯として

使われていたとそうです。

 

 

 

さて「天橋立」。

 

むかしむかし

 

伊射奈芸(いざなぎ)命が

天に通おうとして梯子を造り立てたもうたが

一夜にして倒れ伏し、

 

その結果、

出来たのが「天橋立」と言った・・・

 

そんな古い伝説が残るのが

この場所です。

 

 

あの室町幕府三代将軍「足利義満」は、

「天橋立」に6回訪れ、

「宇宙の玄妙」と評したといわれています。

 

宇宙とは、この世の全て、

玄妙とは深い趣という意味になり、

 

最高の場所だったと評価しています。

 

 

また、

 

義満お抱えの能役者

「世阿弥」も「天橋立」を舞台にした能

「丹後物狂」を作っています。

 

この話は、この「天橋立」近くの領主

 

岩井殿の一子花松が成相寺の

の稚児として勉学に励んでいたのですが、

 

実家に帰ったとき、

雑芸も上手だと聞いた岩井殿が腹を立て、

勘当してしまいます。

 

花松は落ち込み、海に身を投げる。

 

しかし、助けられる。

 

 

そして

九州「英彦山」の寺で

 

学問に励んで大成し、

説教僧として文殊堂に帰ってきます。

 

そこに子を失って物狂いとなった

父親が行き合わせ再会する

という物語。

 

世阿弥も舞台にした場所

それが「天橋立」です。

 

 

そして私達は、海のほうに進みます。

 

雪舟の絵で言うならば

この場所

 

 

絵には橋がありませんが・・・

今は

 

こんな感じになっています。

 

 

 

ここを進んでいきますと

 

右手や左手に石碑が見えてきました。

 

 

 

 

どんどん進んでいきます。

 

海が見えてきました。

 

次の目的地までの移動があるので

全ては歩けないのですが

多くの歌人達が愛した海を見てみたい

そう思います。

 

現在地は

雪舟の絵で言うところの

ここ。

 

 

 

この場所を「細川幽斎」公も見たのでしょうか。

幽斎公の詠んだ和歌にこんなものがあります。

 

「そのかみに契そめつる神代まで

かけてぞ思ふ天の橋立」

 

 

天正六年、幽斎公が45歳のとき、

自分の長男である細川忠興が

明智光秀の娘「玉」(ガラシャ)を

妻にむかえました。

 

この時期、

明智と協力し、丹波・丹後を攻め

その戦功によって丹後の国を与えられ

宮津城主になります。

 

 

そんな幸せな時期に詠んだのがこの和歌。

 

「そのかみに契そめつる神代まで

かけてぞ思ふ天の橋立」

 

自分の領国のうちに天下の名勝、

名にし負う天の橋立がある。

自分はその絶景をいま眼の前にしているが

それは遠い神代の昔から

約束されていたのだろう・・・

 

そう詠んだ歌です。

 

 

ちなみに

細川家が丹後国主をつとめたのは、

天正8年(1580年)から

慶長5年(1600年)までの20年間。

 

幽斎公が47歳から67歳、

三斎公が18歳から38歳

 

この年齢と期間を見ていただければ

このお二人にとって

 

ここが

人生の思い出を残した

大切な場所だったことがわかります。

 

三斎(忠興)公は、まさに青春時代。

ここから全てが始ったとも言えます。

 

マニアックな話で申し訳ありませんが、

 

「細川三斎の初茶会」

 

それは天正9年4月12日の朝、

19歳の時に初めて亭主として茶会を開きます。

 

 

参加者は

惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)

 

誰でしょうか?

 

明智光秀です。

 

そして宗二、里村紹巴、宗及、

幽斎公など豪華な顔ぶれ。

 

細川家の記録に利休居士が登場するのが

天正10年なので

利休の正式な弟子になる前に

すでに恵まれた茶会を開いています。

 

そんな幸せな時間を楽しめたのも

この丹後時代。

 

三斎(忠興)公の朝の早い茶会が終わり、

この茶会のメンバーは舟を出して

天橋立見物に出かけます。

 

さきほどの

智恩寺で振る舞いを受け、

そして天気が夕立になり、

松林が雨に霞んで趣が深くなったそうで

 

そこで幽斎公が和歌を一首詠み、

続いて光秀、幽斎、紹巴が連歌を詠んだ。

 

植(うふるてふ)

松ハ千年のさなえ哉  光秀

 

夏山うつす

水の見なかミ(水上) 幽斎

 

夕立のあとさりけなき

月見へて       紹巴

 

今植えた松が千年の果てまで

栄えることを祈り、

幸せが続くことを誰もが思った・・・

 

ところが

 

この後、

「本能寺の変」が起こるのです。

 

 

そして

時代は流れ、天下人は

織田信長から豊臣秀吉へ、

 

そして

朝鮮出兵から大阪の陣、

徳川家康による天下統一と

流れていくのでした。

 

 

 

 

激動の時代を生きる彼らに

 

この美しい景色は

大きな癒しを与えたに違いありません。

 

定家、

義満、

世阿弥、

雪舟、

 

そして

細川幽斎が作品のテーマにした「天橋立」。

 

 

それから時代が経ち、昭和になって

 

昭和天皇も戦後の民情ご視察のため、

山陰地方をご巡行になり、

この地にご宿泊の際に、

御歌をご下賜いただきました。

 

本日の最後は

昭和天皇行幸の御歌を

ご紹介いたします。

 

「めずらしく

晴れわたりたる朝なぎの

浦わにうかぶ 天の橋立」 昭和天皇

 

 

「天橋立」を訪ねながら、

古代から現代まで様々な

エピソードを紹介してきました。

 

あらためて細川家の美を訪ね、

日本の歴史や自然に

感動した一日になりました。

 

旅はまだまだ続きます。

 

 

資料:細川幽斎・忠興のすべて(米原正義編)

新人物往来社、雪舟・没後500年特別展。

細川三斎藤 茶の湯の世界 矢誠一郎著 淡交社

足利義満像(鹿苑寺蔵)

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2 Comments »

 
  • 山口 耕一 より:

    2年前に妻と「天橋立」を旅したことを懐かしく思い出させていただきました。その時は、「天橋立」の景色に感動するばかりで歴史観など全くありませんでした。今回の太田先生のブログを拝見させていただくことにより、それにまつわる歴史までを知ることができ、さらに「天橋立」への魅力が増しました。心より感謝します。

  • 藤  孝典 より:

    天橋立は未だ行ってません。来年の話では鬼が笑うかもしれませんが、来年の全国大会も浜松とのことですし、帰りにでも寄り道を考えようかと思っています。今回のこのブロクの紹介で益々、行ってみたいと思っています。
     今年も、うろちょろと大会前後を利用して廻って来ましたが、来年が又一つ楽しみが増えたようです。いつもながら貴兄の博識に深く感動させていただいております。今後共よろしく。

 

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